短編小説『シークレットベンダー』

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「あのね、今日あそこの公園で怪しい人に遭ったの。それでね――」
 俺は奇妙な光景を目にしたらしい。心底信じ切れていないから「らしい」というしかない。自販機と女が会話している。「いらっしゃいませ! 何が飲みたい?」と機械音声が流れるたび、女はなにかしら話題を出すのだ。コンビニ袋からホットレモンの熱が太ももに伝わってきた。長く呆然とした時間があったようだ。
 そこに補充しに来た自販機メーカーのお兄さんがやって来た。帽子から見える彼の表情は冷淡だ。延々と自販機に話しかける女の前をさらりと通り過ぎ、隣りの自販機にジュースを補充し始める。俺は写真を取ろうとスマホを取り出した。……こんな時に充電切れか。まあわざわざ記録しなくても忘れないだろう。別にインターネットで拡散しようなんて思ってないが、いろいろと物騒なニュースを思い出し充電切れで良かったかななんて思い始めた頃、例の女はひと際大きな声で話し始める。
「自販機の中に人が入ってるんでしょ? ねえ出てきてよ、お願い」
 まずい。そりゃないよ。そんなはずないだろ。常識というものがあるならそんなことはあるはずない。思わず身を乗り出した瞬間、缶ジュースの箱を運んでいたお兄さんが口を開いた。
「その自販機は特別だからね。隣りの自販機とその隣のスナック販売機は普通だよ」
「やっぱり! 変だと思ったわ、自販機が喋るわけないもの」
「君もそう思っていたのか。私も補充の仕事をして長いが、こんな自販機見たことないから最初は首を傾げたよ」
 女とお兄さんは楽し気に向かい合っている。しかしなぁ……女もちょっと変だと思ったけれど、お兄さんも相当変だ。からかっているのか?
 しばらく話し込んでいた二人は喋る自販機で飲み物を買ってその場から去っていった。何だったんだあの二人。
 辺りが暗くなってから日用品を買い込むため量販店へ向かうと、あの女がペットコーナーの前で固まっていた。寝ている子犬に注視したまま動かず、少し押したらそのまま倒れてしまいそうだと思った。
 背後に気配を感じ振り返ると、あの自販機補充のお兄さんが心配そうに女を観察している。近寄って事情を聴く。
「なんであなたがここに? まさかストーキングじゃないだろうな」
「そんな物騒な。私はシークレットベンダーですよ」
「なにそれ?」
「自販機の補充をしながら見守りサービスをしています。あの女性のご家族から依頼されまして」

 のどかな田園風景から牧草地帯に移っていくと、家主は家屋の修繕をしていてそれを中断してまで彼から話を聞きだそうとした。街の様子が気になるのだ。
「それでどうだった? ここからだと騒ぎの声しか聞こえない。小さなことでいいから教えてくれ」
「その、えっと。なんだっけ?」
「ちゃんと見てきたんだろ? 大人たちは収穫祭を口実に飲み食いしてたんだろ?」
「それが違ったんだよ。刈り取った稲を振り回して街中走り回ってた」
「……それ、マジ?」
「うん。なんでか知らないけど」
 二人して無言になる。収穫祭では毎年一人鬼を決める。捕まった人は次の日から稲穂の収穫を手伝い、無事終えれば成人として認められる。恒例行事と言いながら古い慣習を捨てきれないだけだという人物もいた。咲上亜子だ。自販機と会話していた女。彼女は田園の遺跡前、正確には動物が掘った穴かもしれない曖昧な名所にテントを張り生活していた。ぐるんとくり抜かれ、地層がアーチ状に広がっているため観光客に人気だったが、最近になりめっきり人が減っている。儀式とも言っていい怪しさで行われる行事。ロウソク、尖り模様の絨毯、土着民が覚えている詠唱のようなセリフが嫌いだった。
 ツミとキロは彼女が嫌いだった。テント前を通りかかっても黙りこくっている。不機嫌なのかと思えばそうでもない。ツミとキロは収穫祭より気になってしまい今こうして稲穂畑の脇を歩いている。途中で不安になり引き返したキロがさっき戻ってきたわけだ。
 二人は今年始めて参加する予定だった。しかし優先したのは亜子のこと。彼女元に向かおうとY字路に差し掛かった時、向こうから亜子がとぼとぼと歩いてきた。「お、おう」とツミがぎこちなく手を挙げる。亜子はしおらしく「どうも」と返事する。キロはただ笑っている。
「収穫祭始まってるよ。……ってあんたは行かないよな」
「行くわよ」
「――え? 嘘だろ」
「行くわよ! 気が変わったの。収穫祭に行く」
 三人はY字路の石柱前に立っている。キロは時が止まったように感じた。亜子の口からその言葉が出るとは思わず、そして同時に胸元に虫が這っているようなざわめきに襲われる。風は息継ぎするように断続的にやってきて三人の体を押しのけようとするが、去年一昨年と収穫祭を断り一人でキャンプする彼女を前にすると、どうも今の状況が飲み込めるほどの変化ではないと身持ち悪い心の捉え方をしていて、風のせいか、この場所の地縛りのせいかわからない。ただ無意識に足を踏ん張っていたことは三人とも明らかだ。
「じゃあ行くべ」
「え、ええ。行くわよ」
「……ねぇ先に行ってよ? そっちが道だろ」
「わかってる。あれ、足が動かない」
 という具合にだ。亜子は内心怖かった。一度も収穫祭に出たことがなく、ましてや彼女はこちらにやってきて数年だ。うまく溶け込めるかどうか――。
「あんたら何やってる? もうすぐ花火やるけど。遅れるなよー」
 どこからかやって来た若者はスコップに花火を括り付けたものを担いでいた。
「ここからがシークレットベンダーの仕事ですよ!」
「あなたの仕事は自販機補充でしょうに。ここまでやる必要あるの?」
 俺はシークレットベンダーの牧から彼女の素性を聞き、頭を抱えた。
 ツミとキロはさっき会ったばかりなのに牧に懐いている。見守りサービスなんてなんだかおかしなことに巻き込まれたものだと、ちょっとだけ温かい気持ちになったことは絶対に隠そうと思った。

画像:ぱくたそ
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無理はしない。

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