東北人の気質って?ー秋田釣行で考える

  by mayfly  Tags :  

秋田の渓流にてフライフィッシングを楽しむ

東北人というと、我慢強い、忍耐強い、と言われる。
反面、内気、自己主張しない、との点も。

だが、本当にそうなのか?東北も北と南とでは気質が違い、一概に『東北人』とひとくくりにはできないのではないか。

筆者はフライフィッシングを愛好している。一口で言えば、マス類などの渓流に住む魚を狙う釣り。春から夏、秋にかけて、流れから羽化する昆虫たちや、流れてくる虫を捕食する魚を、虫に似せた擬餌針を使って釣り上げる。

現在東京に在住している筆者が、昔からの友人で福島に住む釣り仲間と北東北に出かけた時に、こんな事があった。

秋田の『マタギの村』、阿仁村の周辺の川でイワナやヤマメに出会い、そこそこの釣りをし、その日は阿仁の道の駅で車中泊をした。

夕食は、道の駅の駐車場で取った。買い込んだ野菜と肉を材料にガスコンロを使って鍋っぽい料理を作った。ビールと焼酎でこの日の成果を楽しく語っていた時だった。

道の駅は、ドライブ中にトイレ休憩をする客が多い。

先に書いておくと、我々は決して道の駅の入口近くに陣取って、ワイワイやっていたわけではない。駐車場の端で車の横に折りたたみ椅子を持ち出し、ちまちまとやっていただけだった。

ところが、である。

夕方以降、トイレに向かうであろう人達、特におじさんが、わざわざこっちに寄って来るのだ。

「何やってんだあ」
「これから何食うのかあ」
「釣りしにきたんかあ。釣れたんかあ」

独特の語尾上がりのイントネーションに、顔をくしゃくしゃにした笑顔で話しかけてくる。ほとんどの人が、わざわざこっちまで寄り道して話しかけていく。

決して、不快とか、嫌ではない。底抜けの親しみやすさ100%の呼びかけに、こちらも思わず、

「美味しいですよお」
「まあまあ釣れましたよ。どっか、もっと釣れる場所、知りませんかあ?」

と、思わず語尾が上がって、妙にテンション高く応じてしまうのだ。

道の駅に入ってくる秋田ナンバーの車や、青森ナンバーの車から出てくるおじさん、たまにおばさんが寄ってきて、二言三言交わしてトイレに向かう。

この人なつっこさ、って?? 何??・・・もちろん、こちらは楽しい。

福島在住の釣りの友人と話した。
「これって、福島のほうの道の駅じゃ、ありえないでしょ?」
「普通は、道の駅の外で鍋やってる人見たら、無視か、関わらないようにするよね」
仮に自分が道の駅に立ち寄り、隅っこで料理してるグループを見たとして、と考える。「なんかやってるな」と思っても「巻き込まれないで、さっさとトイレに行こう」と、考えるだろう。

友人も、「これって、福島に限らず、東北の太平洋側の人(宮城、岩手)は皆無視すると思う」という。

他にも、秋田の道の駅に寄った時だった。釣りの格好をして、ソフトクリームを買って食べてると、売店のおばちゃんが、売り場から身を乗り出して、話しかけてきた。

「どこで、釣りしてきたの? 釣れたかい?」と親しげに話しかけてくる。
「釣れたよ」というと、「魚は?」と聞かれたので、「放してきた」と、フライフィッシングで通常のキャッチ&リリースの話をすると、
「何、もったいないことしてんのお」と突っ込まれる。

重ねて言うと、こういう会話が不快ではないばかりか、楽しい。

しかし、この人たちの明朗さはなんなのだろう。
筆者も生まれは福島で、その後、北海道、東京で暮らしたが、知らない人といきなりこうしたやりとりをすることは、経験したことはなかった。

秋田と言えば、先祖はユダヤ人説とか、青森にはキリストの墓まである。
珍説、伝奇話が多い地域ではある。

だが、歴史を見れば、平安時代後半に平泉で当時の京都をも凌ぐ繁栄を誇った奥州藤原氏がいた。寺社伽藍などの数は京都以上とも言われ、藤原氏からは京都の朝廷へ砂金や北方の貢物が献上されていた。

この藤原氏の財力は奥州で算出した金の力による。さらに、文献には残されていないものの、良港だった十三湊(現在の青森県五所川原市)から、北海道のアイヌ、また中国大陸との貿易も行っていたのでは、と想像される。

東北の中で、異文化、異民族が秋田、青森の地域に根付いているのではないか?
そんな事を考えさせられた、秋田釣行だった。

スポーツ新聞で、記者、デスク、部長を17年。 高校野球、サッカーJリーグ、スキー・ジャンプ、アルペンなど冬季種目も担当。

Twitter: @mayfly878238