朝日新聞は平然と生き延びる

  by mkw59  Tags :  

 最近の朝日新聞、特に天声人語は読んでいてつまらなくなった。最近とは、例の誤報謝罪後のことであるが、「ノーベル賞報道」の頃までは、まだ「私は間違っていない」とでも言いたいような強気な面があった。強気だから面白いという訳ではないが、ごく最近の内容はあまりにも平々凡々としすぎて、怒る気にもならないし、増して感動することもなくなったというのが実感である。
 それは、あの報道以来、朝日新聞を冷めた目で見るようになったせいもあるだろうが、天声人語そのものの傾向も変わったような気がするのである。その傾向とは、まず季節を題材にした記述の割合が多くなっているのではないか。コラムという性格上、これまでも季節の移り変わりの節目に、それにふさわしい季節感を表現することは少なからずあったものの、連日のようにされては、その季節感も逆に薄れるというものではないだろうか。その他のテーマの選択にしても、その時に話題となっている当たり障りのない題材で、他紙のコラム(あまり読んでいないが)と何ら変わり映えしないものになっている。以前は、気にも留めない意外なことを探求し、なるほどと感心させられたこともあったものだが。
また、もう一つ気になるのは、故事や俳句、著名人の本や言葉を引用した記述の仕方が以前に増して多くなった感じがする。引用に始まり、引用で終わるといった印象である。朝日新聞の編集委員となれば、さぞかし頭が良くて学があり、本をたくさん読んで著名人との人脈もある立派な方であろうが、もっとご自分の言葉で語ろうとしなければ、教養だけを見せびらかされているようで、鼻に着くのである。
 ここまで、本題と関係のないことを好き勝手に独断と偏見で書いて、もちろん同調を求めるものではないが、これから言いたいのは、そう感じている朝日新聞が、今後どうなるのだろうということである。難しい議論は抜きに、朝日新聞の廃刊を望む声や心配する声もあるようだが、現実に廃刊になると思っている人は、まずいないだろう。なぜなら、朝日新聞社自体がそんな心配は全然していないからである。確かに、販売店を含め減収になっているようではあるが、だからと言って社長以外も役員報酬を減らすとか、人件費をカットするといった話は聞こえてこない。それだけ強固な経営力(利益)があるのであろう。
 そんな報道機関として最大の組織を誇る朝日新聞社がブラックホールと化し、自ら吸い込まれるように朝日新聞が廃刊に追い込まれるとは考えられない。いくら批判を浴びようとも、朝日新聞は平然と生き延びていくであろう。朝日新聞は、そういう類の新聞である。ただお願いしたいのは、嘘をつかないことと、批評に値する内容であってほしいことである。

新聞(特に朝日新聞)のコラム(天声人語など)や社説の批評をしてみたいと思います。