【どこへ行くTHEニッポン2】ネットニュースのあり方を勝手気ままに考察してみた。

  by 森井聖大  Tags :  

ああ、見上げるビルディングの大きさにくらべて、なんと僕の存在の小さいことか。

さて。

http://blog.fc2.com/info/blog-entry-857.html

上記にあるように、fc2ブログがネット視聴率No.1になったそうだ。僕もfc2にてブログをやっているので、ネット視聴率ってのはよくわからないが、このNo.1に、僕のブログが果たした役割は微小であるが、個人的には同じfc2ブロガーとして想いも大きい。

そこで、ちょっと先月のブログ訪問者のアクセス履歴を見てみた。すると、僕のブログの一番の訪問者は、ストリップ関係だった。特に、小倉ストリップだ。この結果は、なかなか参考になる。趣味と実益を兼ねて、このままストリップライターになってもいい。

さて、余談は、さておき。

しかし、ブログというのも、一つのメディアとして認知されてきたのだろうか、こういう事件記事があった。大分市職員がブログにて女性を誹謗中傷して逮捕されたという。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110816/crm11081616330012-n1.htm

これはちょっとネット世論に激震が走った。今までにない動きだと思ったのは、実名の記載がなくとも逮捕されたことだ。その要因にあるのは、もはやブログは一部のネットユーザーだけでなく国民全体が見るメディアとして位置付られたことだろう。

つまりこのまま一億総ネット化が進み、明確に一つのメディアとして存在を示したなら、このメディアを作っているのは、個人一人一人ということになる。とすると、今現在、常識やネットリテラシーという言葉で、その場しのぎに曖昧なままおざなりに進むネットに関する法律をもう少し明文化して一般の人々に示さないと、知らずに逮捕されることもあるだろう。完全に現行法をインターネットにあてはめていくのか、どこまでから犯罪になるのか、具体的に提示せずに、例えば交通法規でも制限速度の標識を立てているのだし、道路交通法についての勉強もさせられるわけだから、何かのラインは必要になるのかもしれない。刑法や民法については、長年培ってきた、あるいは刷り込まれてきた法治国家としての個人の生き方が染みついており、犯罪のラインは皆ある程度わかるが、ことネットに関しては十人十色といっていい状況だ。

僕自身も、いわば探り探りやっている。皆そんな感じだと思う。

しかし、個人的には、このまま社会の枠組みのなかにインターネットが組み込まれてきたとしても、できるなら逮捕とか物騒な真似をしなくても、良い雰囲気作りができたら一番だなと思う。訴えたらすぐ逮捕では、ネットにおける誹謗中傷問題は、いわば痴漢の冤罪問題みたいなことにもなりかねないのだ。

そもそも社会生活で型にはめこまれすぎた後でのネットの存在感があったのだから、そもそも論としてインターネットはある程度の自由度とカオス的なものであって欲しい。また日記としてのブログという性質も残しつつやらないと、全ての人が心地よく生きていけるリアルではあるまいし、前回書いたように核分裂家族の時代にあって今までのネットがそうであったようにリアルからはじき出された者の居場所がなくなるのはよろしくない。

正直、方向性として、現在ネットで進みつつある言葉狩りの方向に加速していく気もするので、ネット論壇は色褪せる可能性がある。

以上のことから、現実としてインターネットの位置づけは、一つ慎重にやって欲しいところだ。

で、本題であるネットニュースのあり方にうつるわけだが。

それと関係してくるのだが、昨今のネットニュースのいい加減さがものすごーく気になる。特に芸能ニュースなどのソースとして、有名人のブログから適当な記事を抜き出して書いていたりする、素人でも書けそうなものがyahooなどの大手検索サイトのTOPニュース記事になったりしていることに、不信感を抱くわけだ。

というのも、芸能人が書く文章の拙さで、ほとんどが説明できていないものが多く、断片的であるからだ。芸能人の書籍を思い返して欲しいが、あれは本人にインタビューした上で、あるいは元にある本人原稿がありながら、ほぼゴーストライターが書いてきた。だから推敲の面でも校正の面でも全体像を伝えるのに何箇所もの検問を突破してはじめて公のものとして一般人の目に触れてきた。

反面ブログは、芸能においてはプロであっても、文章表現に関して素人である芸能人自らが、ほぼ推敲も校正もせず、公に発表していることになる。そのことで率直な意見が聞けるという長所もあるが、意見をいう時に熟慮せずにupする傾向になり、つまりはそれは感情的なものになりやすいから、そのことで色々な問題や事件が最近頻発しているように思う。

twitterでの不倫暴露やフジテレビ批判もさることながら、各ブログでのどうでもいいような記事を、何かあるようにネットニュースとしてあげる。あるいは素人集団、烏合の衆でしかない、情報の全てをネットに頼っているような2chなどの噂話を、さも何か事実のように報道する。従来の週刊誌やワイドショーが足で稼いできちんと裏取りをしていたスキャンダルに比べて、あまりにお手軽なニュースだなと思う。

最近ナイナイの岡村などが、twitterなんかしなきゃいいといい、かつネットに関して批判的なのは、そういう文章を書くことが得意ではない人間なのに大丈夫かという危険性などを明確に指摘しているように思う。

僕は個人的には案外くだらないことが好きで、昨晩のyoutubeが韓国のアクセスを遮断も含め2chや(ネットをソースとした)ネットニュースは基本真偽のわからないデマと疑いながら、笑いのネタとして読んでいるけど、インターネットが一つのメディアとして成長していく過程において、従来のウソばっかりだが面白いから許す的なネットの見方をする人が減っていき、現在の若者のようにネットもリアルも同じだという人が増えている現実においては、もう少し、ネットニュースのあり方なども考えてもらいたいものだと思いはじめてきた。

まあ、ただの同人誌作家である僕や、何も失うものがないニートなどは、はじめから何もないからお気楽だが、既に地位がある人や有名人やこれからの人などは気をつけてもらいたい。インターネットの拡大はじまりの世紀で、何人の人間が犠牲になるのか、まだまだ増えることだろう。ググるという言葉があるが、それでも本当のところはどこにも書いていないということ、当たり前だが、ネットはきっかけに過ぎず、全てにはなりえないということを、ネットニュースを垂れ流す人はもちろん、見る人も、やる人も、今一度肝に銘じて、インターネットメディアを創りあげてほしいと願う今日この頃なのである。

さてさてインターネットの行く末は、どうなるのか。

いつものように勝手気ままに考えてみた。もちろん、気にしてもいいし、気にしなくてもいい。