海外でツアーも組まれる「魔界遺産」三選

  by Takehito Sonoda  Tags :  

現代の「魔界」へようこそ……

ウィンチェスター・ミステリー・ハウス(英語表記:Winchester Mystery House)

http://www.winchestermysteryhouse.com(海外サイト)

アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ。
普段は観光客でにぎわう、カリフォルニアの陽気な街のひとつである。
その街中の一角に奇怪な大邸宅、『ウィンチェスター・ミステリー・ハウス』がそびえ立っている。
この大邸宅こそ、銃ビジネスで財産を成したウィンチェスター家の「負」の遺産である。

銃で財を成したウィンチェスター家

19世紀に登場した『ウィンチェスターライフル』は、連射機能を搭載した画期的な銃であり、南北戦争後にオリバー・フィッシャー・ウィンチェスターが、武器工場を買収して生産を始めた。
そして息子であるウィリアムが、この銃を西部で売りさばいたことで、ウィンチェスター家は巨額の富を得ることができた。
やがてウィンチェスターライフルは、アメリカ合衆国の公式銃として採用され、ウィリアムの資産は2000万ドルを軽く超えるまでとなった(現在の紙幣価値に換算すれば、総資産1000億円とも言われている)。
ビジネスで成功を収めたウィリアムは、名門出の才女であるサラ・バーディーと結婚する。
幸せ一杯のはずだったが、二人の間にできた娘が生後わずか一ヶ月で他界。
そして夫のウィリアムは悲しみのあまり体を壊し、結核の病に冒されてあえなくこの世を去った。
悲劇は終わったかに思われたが、ウィンチェスター家の本当の不幸はここから始まる。

呪われたサラ・ウィンチェスター

一度に夫と娘を失ったサラ・ウィンチェスターは、この不幸となった元凶を、当時社交界で地位を確立しつつあった、ボストンの霊媒師に相談してしまう。
霊媒師はサラにこうアドバイスする。
「あなたには銃のせいで死んだ人が、悪霊となって取りついています。西海岸へ行ってその霊たちのために家を建て、増築し続けなさい。増築を止めたとき、あなたは死にます」
これを聞いたサラは恐怖し、すぐにサンノゼの農場に引っ越して屋敷を建設する。
その後約40年もの間、屋敷を増築し続け、まるで迷路のような不可思議な大邸宅が完成したのである。
部屋の総数は160以上、暖炉、階段、寝室ともに40箇所以上、窓ガラスに関しては1万枚以上もあった。
そしてサラは「13」という数字にもこだわり、それぞれの階段の踏み場も13段、明かりを灯すロウソクは13本、屋敷に1つしかないシャワーも13番目のバスルームに設置という徹底ぶりだった。
この行いが功を(?)奏したのか、サラ・ウィンチェスターは無事に天寿をまっとうすることができた。
現在、この邸宅は「幽霊屋敷」として観光名所となり、その迷路のような構造を一目見ようと、毎日たくさんの人々が訪れている。

アルカトラズ島(英語表記:Alcatraz Island)

http://www.nps.gov/alca/index.htm(海外サイト)

アメリカ合衆国カリフォルニア州のサンフランシスコ湾内に浮かぶ島、『アルカトラズ島』。
ここには過去、凶悪犯を収容する『アルカトラズ刑務所』が存在した。
一度収容されたら脱獄は不可能と言われ、受刑者が逃げ隠れできるトンネル類はすべてセメントで埋められており、たとえ外に出られたとしても、絶海の孤島のため陸まで泳がなければならず、脱獄を試みた者のそのほとんどは失敗に終わった。
著名な受刑者には、ギャングのアル・カポネやジョージ・“マシンガン”・ケリーなどがいる。

難攻不落のアルカトラズ連邦刑務所

アルカトラズ刑務所では計14回の脱獄事件が起きており、試みた受刑者の総数は36人と記録されている。
この中の23人は身柄を拘束され、6人は射殺、2人は溺死した。
残りの5人は行方不明となっているが、溺死したものと推測されている。
1946年に起きた、「アルカトラズの戦闘」では、6人の受刑者が看守から武器と監房の鍵を奪って逃げたが、運動場へ抜ける鍵を見つけることができずに、銃撃戦の末あえなく御用。
逃走した6人の内3人は死体となって発見され、残り3人は裁判にかけられた後、2人がガス室送りとなった。
映画『アルカトラズからの脱出』の題材として有名な脱獄事件は、1962年に起きたフランク・モリスとエングリン兄弟による逃走劇である。
約2年の歳月をかけ、モリスとエングリン兄弟は海を渡るためのいかだと、自分に似せた人形を作ることに成功。
夜の見回りの目をあざむくため、ベッドに用意しておいた人形の頭を枕元に置き、開けておいた壁の穴からパイプを伝ってまんまと外へ脱出する。
この脱獄は成功したと思われているが、その後のモリスとエングリン兄弟の消息がつかめないことから、死亡、または溺死したものとしてFBIは判断している。

ボマルツォの怪物庭園(イタリア語表記:Bosco Sacro)

http://www.gardenvisit.com/garden/sacro_bosco_villa_orsini(海外サイト)

イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県のボマルツォ村。
ここには『ボマルツォの怪物庭園』として呼び親しまれる観光名所がある。
庭園を訪れると、幾つもの乳房を持った2対のスフィンクス、ヘラクレスに股を裂かれている人食い巨人、ゾウの鼻に巻き上げられるローマ兵など、奇怪な石像が数多く存在している。
建設にあたったのは、ローマ近郊ティボリの世界遺産である「エステ荘」を手がけたことで有名な、建築家ピッロ・リゴーリオである。
巨匠ミケランジェロの亡き後、サンピエトロ寺院の建設を引き継いだのも彼の功績である。

悲嘆にくれた領主の依頼

ピッロに建設を依頼したのはオルシーニ家の領主、ピエールフランチェスコ・オルシーニである。
彼は20代にして最愛の妻ジュリアを失ったことから、悲しみを紛らわすため、この不思議な庭園作りを始めた。
その後、約30年間に渡って庭園作りに没頭する。
庭園の中には奇怪な石像が数多く存在し、先にも述べた向き合った2対のスフィンクスや巨大なヘラクレスの像、さらには巨大な女性像も横たわり、他にもペガサスや3つの頭をもつケルベロスなど、ギリシャ神話を思わせる石像も並び立っている。
さらに印象深くて有名なのが、大きな口を開けてこちらをにらんでいる「オルコ(人食い鬼)」であり、開けられた口の高さは2メートルほどあるので、人がすっぽりと入ることも可能である。
こうした不可思議な石像が、庭園の中にところせましと林立している。
ピエールフランチェスコの死後、庭園は時代の流れとともに忘れ去られたため、すっかり荒廃してしまった。
400年後の20世紀になると、正式に芸術として評価され始め、今では有名な観光名所として数多くの人が訪れている。

写真引用元:http://photopin.com

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