沈黙の宗教 ゴーストライター編

  by あらい  Tags :  

※写真はイメージです

ゴーストライターを使うのは、道徳的に何の問題もないだろ、という意見がネット上でそれなりの勢力を保っていたりします。

特にビジネス書の執筆なんかですと、面白いノウハウをお持ちの方ほど本を執筆している時間がないんだから、そういう人のコンセプトなりネタなりを、文章をまとめるのが得意なライターさんに取材させてまとめて貰っちゃった方が、話題の旬が終わらないうちに一般の人達だって面白いノウハウを知ることができるんだし、むしろいいことでしょう、と。

もしそうなら、これは面白いノウハウを持ってる人を取材して当人に許可を貰った内容です、とやれば済む話なのにどうしてそうしないのですか? というお話になると思うのです。どうしてわざわざそこを隠ぺいする必要があるんですかね、と。

結局、それを隠ぺいするのは商売上の都合でしかないのは明らかですから、どうして僕らが何でもかんでも商売をやる側の都合に合わせなきゃいけないんですかね? という話になっていくと思う訳です。

一頃問題になった食品の産地偽装も、根本は同じだと思います。

だって食べても分からないんでしょ? というのが商売をする側の言い分ですけど、例えば車エビの漁師さんが車エビとウシエビを間違わないのは、車エビを食べてる経験値が一般の人よりはるかに多い、という要素がとても大きい訳ですよね。そもそも、そういうものは経験値が高くなれば、大体の人は食べたら分かるようになる訳です。食べても分からないんでしょ? というのは、生い立ち自慢がしたいのでしょうか。それはともかくも、経験値の高い人は経験値の低い人には何をしてもいい、という道徳観念を経験値の低い人は無条件で受け入れなければならない、って、意味分からないっスね、と。そう言い返すしかない類いの理屈だと思います。

もちろん、商売をする側は自由にしていい訳です。自分達の都合を主張して、全然構わない訳です。嘘だって、つきたければついたっていいと思います。

ただ、社会の大前提として、嘘をついたんなら、その後のことは嘘をつかれた側が決められることを基本に据えられないのであれば、それはフェアじゃないと思うのですが。自分に対して嘘をついた人と今後もお付き合いを続けていくのか、それともそれっきりにするのか、というそこの選択の自由を商売人の都合で奪われてしまうなら、これはもう戦うしかないことだと思うのです。

ですから、報道の役割はとても大事なのです。報道は僕らに事実を伝えてくれる大きな使命がある訳です。例えばあのデパート、ウソついてますよ、と。ちゃんと報道して貰ったら、後のことは僕ら一般の側で決められる訳です。報道が事実をそのまま伝えることをしてくれないと、僕ら一般の人間は、その基本的な選択ができなくなってしまう訳です。

そこで嘘をつかれていた事実が発覚しようとも、他のメリットを考えたら、ま、お付き合いは続けます、という人がいたっていい訳ですし、いや、以後お付き合いは考えさせていただきます、という人がいたっていいんです。でも、そこは嘘をつかれた側が自由に選べないとおかしいじゃないですか。

嘘をつく側が、そこで工夫をするのは、もちろん自由です。「これくらいはシャレでいけるかな?」等々。そこで嘘をつかれた側が「シャレでOK」と言うんなら、その嘘は当然OKになるでしょうし。

例えば、アイドル商売を始めとしたある種のエンターテイメント商売は、言ってみれば、そういうことで成り立っている人間関係ではある訳です。処女でないことがバレたアイドルでも、国民的帯番組のレギュラーメンバーになれる場合もある訳ですし、処女でないことがバレて仕事をなくすアイドルもいる訳です。それは全て嘘をつかれた側がその後の対応を決めているだけなのです。それはそこの自由が担保されていればこそ、バランスを保てる人間関係なのです。嘘をつかれた側でその後の対応を決められなくなった瞬間、その人間関係は一方的なものへと変貌していく訳です。

最近ですと、例えばホリエモンさんがエア小説家をやりました、と。そこで、今後ホリエモンさんと付き合う他のメリットを考えたら、ここでホリエモンさんの嘘を飲むのはアリだ、という選択をするのだって、それも人それぞれ自由のハズです。そうではなく、ホリエモン信者でも何でもない人までもが、今後ホリエモンさんとのお付き合いはなかったことにさせていただきます、という選択肢を選べなくしてしまう空気を作ろう、というのは、何かの宗教なんでしょうかね?

宗教ではないにせよ、誰かが嘘をつきました、ではそれにどう対応するかを社会全体で統一させましょう、ってどんだけ社会主義が好きなんですか? と思いますよ。

その嘘が通るか通らないかを、嘘をつかれた側が自由に決められるからこそ、人間は社会の中で、お互いがフェアな関係を築けるのです。そこの大前提を、例えば商売人の浅知恵のようなもので、嘘をついた側で決められるように社会全体で統一しましょう、なんてことが起ってしまうとするなら、そんなことは絶対に許してはいけないことだと思うのですが。

嘘をつくのは、もちろんその人達の自由ですけど、そこはちゃんとリスクを負って頂かないと。人間関係には、嘘をつくのは相手に対して失礼だ、という大前提があるんですから。

東京の音楽業界の隅っこで仕事をしてきました(インディーズアーティストのもろもろ、ゲーム、ラジオの音楽制作、専門学校講師等)。2014年から某楽器メーカー勤務。

Twitter: ilandcorp