人間鍵:再発見された退廃芸術作品と所有者との奇妙な関係

  by 英水  Tags :  

元来、動物とは、動くことによって静物への優位性を保ってきた。動くことができるが故に静物を加工し、自分に有益なものに作り変えることができる。ところが奇妙なことに、静物が動物の上位にライク付けされ、動物を支配するということが起こる。これは人間という動物特有の現象ではないだろうか。静物の中に動物の持ち得ない特性を見出し、そこに上位のあるものを見出すとき、それは神という名前を与えられ、動物を突き動かす。

ナチスにより退廃芸術という烙印を押された作品群を所有していたコーネリアス・グルリットのインタビューへ目を通したとき、同じような、動から静物への憧憬という奇妙な逆転現象を垣間見た気がしたと同時に、その人の中に動くことを放棄し、静物となることを甘受するような奇妙な倒錯を見たような気がした。

消失したと思われていた退廃芸術作品を多数所持しており、それらを売って生計をたてていたと推測されるコーネリアス・グルリット。その存在が明るみに出たのは11月の初頭だった。それから幾日かが過ぎたが、当の本人が現在どこにいるのか、足取りがつかめなかった。彼の所在を巡って様々な憶測が流れた。外国へ高飛びしたのではないか、既に亡くなっているのではないか、もしかして自殺したのかも?

ところが驚いたことに、彼は、絵画の押収されたミュンヘンの住居にひっそりを身を潜めていたのだった。2011年、税調査官による偶然の摘発によって、自宅捜索されたことにより、彼の静かな生活は突然破られ、「彼の絵画」は押収された。そして、今年の11月初頭、センセーショナルに退廃芸術作品の発見が報道されるやいなや、またたくまにこのニュースは世界を駆け巡り、突然、多くの報道陣が住居の前に集まった。この野蛮人どもは(とグルリットは彼らのことを呼ぶ)ベルを鳴らすわ、フラッシュをたくわで大変な騒ぎであった。それでも、彼はその場所に身を潜め続けた。

ところで、ひとつ疑問に思うことがある。なぜ報道陣は、彼がそこに居住していることに気づかなかったのか。昼でも雨戸を閉め切り、外部からの視線を遮断していたのだろうか?しかし、電気や水道のメーターが回っていたらそこに居住していることは一目瞭然だろう。光に関しては、ろうそくでも灯していたのかもしれないが、水はどうしたのだろう?給水はまだしも、排水しないで、どのように生活していたのか?水道のメーターが回っていないというふうに他人の目を欺くにはどんなスキルが必要になるのか?このコーネリアスという人物の、存在を消し去るその才能には驚嘆せざるを得ない。

大々的に報道されてから、彼がミュンヘンの住居から外出したのはわずかに二度。一度目は生活必需品や食料品を購入するため。二度目は心臓疾患の診察のため、ミュンヘン郊外の病院を訪れるため。しかし、この二回とも週刊誌にスクープされている。今回、独誌シュピーゲルにそのインタビューが掲載されたが、それは二度目の外出時に敢行されたものだ。

 

このインタビューから立ち上がってくるのは、影の薄さ。また、メルヘンに登場する、あるものを秘匿することだけを運命とし、それを粛々と受け止める不気味な存在。それは多くの場合、自身の人生の意味など、知ることもない。その使命は生まれたときにすでに課されている。ただ、その使命を果たすためだけに生き、そして死んでゆく。しかし、彼なしには、その物語は成り立たない。コーネリアスは彼の絵画を、父から受け継ぎ、それを守ることを宿命とした。

コーネリアスがミュンヘンという地にやってきたのは彼が27の年、母親の決断によるものだった。ミュンヘンの芸術シーンに憧れを抱いていた彼女は、そこに二つの住居を購入した。彼は引越しに乗り気ではなかった。何故なら、彼の地はナチス発祥の地であり、その後に起きる悲惨な出来事、ユダヤ人の迫害や、第二次世界大戦の勃発など、全ての間違いがここから発生した、と彼はみなしていたからだ。そして、その後、退廃芸術とみなされた絵画群を守ることを宿命と感じた彼にとって、その地は牢獄と化した。鉄格子なき牢獄と。一歩、部屋を出ることさえ、その宿命を破壊することになりかねない。事実、病を患っていた彼は経済的理由から逼迫し、スイスで絵画を競売へかけ、その途上で調査の網に引っ掛かってしまった。

彼は、彼の絵画について、なぜ人々がこれほどまでに騒ぎ立てるのか、理解できない。他人とのコンタクトは避けて生きてきた。彼が人生の中で唯一愛したものは、何十年も共に過ごしたその芸術作品たちだ。女性を愛したことさえなかった。それほどまでに彼らを愛していた。これまでの人生で一番辛かった離別とは、父、母、妹との死別ではなく、その絵画たちから引き離されたことだった。残された時間の中で、彼は願い続ける、あの芸術作品たちが彼の元に戻ってくることを。そして、死ぬその時まで、その絵画たちのそばで暮らし続けることを。そして不思議に思う、どうして人々は自分が死ぬまでの間、待つことができないのだろう?その時がきたら、絵画は歴史の呪縛から解き放たれ、自由になるのだから、その時まで待つべきなのだ。

一方、コーネリアスとは、退廃芸術とみなされた作品群がおのずからの安全を守るために必要とした、有機的な鍵である、とみなすこともできる。時間の経過が必要だった。その作品群がもはや“退廃“ではなく、再び芸術とみなされ、脚光を浴びるまでの時間が。それには、人一人の一生という時間が最適だったのかもしれない。彼の肉体は朽ち果て、ふつふつとその使命に燃えたわずかな命の灯火が燃え尽き、心臓が鼓動をやめ、静物となったときに初めて、鍵は解き放たれ、芸術は安全を保障される。

尚、最新ニュースによると、絵画群はコーネリアス・グルリット氏へ返還されることになるらしい。

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2003年に東京からドイツのミュンヘンへ移住。実務で揉まれ、ドイツ語も随分、堪能になりました。 現在は、ドイツの設計事務所に勤務。 その傍ら、ミュンヘン工科大学の建築学科にて、博士号を取得。 建築や芸術、旅行などに興味があり、得意のドイツ語力で、ドイツの新聞やウェブを縦横無尽に闊歩し、みなさまに刺激をあたえ、話題にのぼる記事を翻訳していきたいです。 ドイツ人は、日本人からみればヘンテコなことを真面目な顔でする人たちです。例えば、鼻をかむときに、盛大な音を出さないと、怪訝な顔をします。とても綺麗な顔立ちの女性も、ところかまわずブーと鼻をかみます。そして、鼻水のついたチリガミを大事に畳んでポケットへしまいます。 そんな日本人的感覚からちょっとずれたドイツ事情や、テクノロジー大国としての技術に関して執筆し、ドイツをより身近に感じていただきたいです。

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