ジビエ(熊)

  by 九尾信貴  Tags :  

今は空前のグルメブーム。人の食への探求はとどまること知らない。
人間健康であれば、否、少々不健康であったとしても、食べることに興味がない人はおおよそいないだろう。

人はオーソドックスな献立に飽き足らず、奇食というべきか、未知の味を求めるようになった。
そこで登場したのが、ジビエである。これはフランス語で、狩猟によって捕獲された野生の鳥獣を食材にすることである。

何もフランス語を借りなくても、日本には、マタギと呼ばれる狩猟集団がいた。
秋田のマタギが有名である。

ここで少し本題からそれるが、古代の日本というものをあくまで私的に、ざっくり想像してみる。
縄文時代、日本全土は狩猟生活一色であった。
やがて、渡来人が流民してきて、弥生時代へと入る。

地勢的に、海を渡ってやって来た渡来人は、九州にまず辿り着く。そして、九州に稲作をもたらした。中には山陰に着いたものもいただろう。
これが、高千穂、出雲神話になっていく。邪馬台国もできた。
それがやがて、神武東征となって近畿に向かう。そして、ヤマトが建国されることになった。

それより、以北、関東や東北は縄文のままという、遷移時代があったのだろう。
その頃の呼称は、九州は熊襲(くまそ)、近畿はヤマト、東北は蝦夷(えみし)であった。

おそらく、その後も随分長い間、東北には狩猟生活が続いたと思われる。
縄文時代の遺跡、古墳が青森や秋田には多く見られるためだ。
話しを戻すと、従って、秋田のマタギ集団は筋金入りの狩猟一族と言えるのである。

その昔はどうだったのか分からないが、東北の山に棲む大型獣といえば、熊と鹿である。猪は宮城県南部、丸森が生息北限とされる。
ひと昔前、秋田には熊がたくさんいた。もう至るところにいたそうである。

あまりにいるので、昔の男たちの遊びとして、こんな話を聞いたことがある。河原にドラム缶を寝かせておいておく。ドラム缶の底には餌を入れ、熊がドラム缶に入ると口が閉じる仕組みになっていた。熊が入るのを茂みから確認して、閂を完全にロックして、そのドラム缶を川の深みに沈めて殺すという。

マタギは山の神である熊を崇める一方、生活の糧として殺した。
熊の胆のうである熊の胆(くまのい)は、高値で買い取られた。特別のルートがあって、買取先は富山か新潟あたりとされる。
大きい熊のであれば、100万にもなったというので、一冬は遊んで暮らせたそうな。

熊から得るところは、熊の胆、毛皮、脂肪、肉と、すべてを無駄にしなかった。
だが、現在では、肉を食べるものは少ない。一部の奇食グルメ家だけである。
とても旨いとは言えないからだ。

次の法則を覚えておくといいだろう。
植物や穀物を食べる草食動物の肉は旨い。他の動物を殺して食べる肉食動物の肉は不味い。
牛、鹿、馬、豚、鳥は旨いが、熊や狼、その他肉食獣は不味いのである。猪は中間にいて、なんでも食べる雑食のため、肉の臭みがあるが旨いとなる。

熊も雑食だが、肉はとても臭い。鼻が曲がりそうになって、とても食えたものではない。
脂肪は無臭なのだが、肉は悪臭を放つ。
興味深い話もある。熊も時期によっては臭みが違うというのである。

養鶏場を襲って、鶏を食った肉は臭くなかったと。
逆に、家畜の飼料や山の山菜含む植物ばかり食べているのは、とても臭かったという話しを聞いたことがある。

最後に、ジビエを試すのもいいが、ウィルスを持っていることもあるので、しっかり加熱処理をして食すことをすすめる。

遊神と危道の探求を信条に。ただ迷想も間々あり。 あらゆる分野のリーディングカンパニーでSEとして従事という特異な経歴を持つ。旅・歴史探訪・テーブルゲームをこよなく愛し、古き良き日本を探すことに生甲斐を覚える。

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