幻の鞄が発見!横浜開港資料館の発表会にいってきた

  by 元弥きと  Tags :  


どうも、元弥きとです。

4月11日14時、横浜開港資料館にて、DKSHジャパン社の所有する倉庫から発見された歴史資料に関する 発表会があった。今回、発見されたのは「幻の鞄」と呼ばれた「アメリカ人建築家J・H・モーガンの鞄」だという。幻の鞄とは一体どんな鞄なのだろう。気に なったぼくは発表会に参加してきた。

 

今回の発表会が開かれた会場の横浜開港資料館はみなとみらい線日本大通り駅からすぐにある施設だ。施設内では収集された横浜の歴史資料が展示されている。

発表会会場に入ると東京新聞や共同通信といった大手メディアの姿があった。ぼくが空席に腰を下ろし取材の準備をし終えると、丁度開始時刻になり、司会の長谷川崇氏が開会の挨拶を始めた。

 

ぼくの座っている席から見える、奥からDKSHジャパン代表取締役のペーター・ケメラー氏、横浜開港資料館館長の上山和雄氏、副館長の西川武臣氏、横浜市都市発展記念館主任調査研究員の青木祐介氏が座っていた。

はじめに、ペーター・ケメラー氏から挨拶があった。

ペーター・ケメラー氏:
「本日はお集まりいただきありがとうございます。DKSHジャパンは横浜で生まれ育ちました。1865年に創業し、長い間横浜をホームグランドとしてきました。
ですから、日本に根ざした会社であると同時にハマッ子であるとも言えるでしょう。さて、今日、初公開となる資料はDKSHの代々の社長が戦前戦後30年に渡って受け継いできた鞄の中に収められていたものです。
私たちにとっては古い鞄という認識だったのですが、横浜開港資料館の協力を得て検証したところ、非常に歴史的価値が高い資料が残されていることがわかりました。
資料は市民の皆さま、学生、研究者の方々にご活用いただく為に寄託することにしました。
いずれ一般向けの閲覧も可能になるときいています。こういった形でホームタウンである横浜に恩返しができるのを嬉しく思います。

 

DKSHジャパンは2015年に150周年を迎えます。大きな節目の年となるでしょう。長い歴史に支えられて今があることを認識し、感謝の気持ちを忘れることなく、更なる飛躍を目指したいと思います。ありがとうございました」

続いて、西川武臣氏が今回の資料やDKSH社ジャパンが横浜開港資料館に来る経緯についての説明があり、詳しい解説は青木祐介氏からあった。

DKSH ジャパンは1863年、いわゆる幕末と呼ばれる時代にスイス政府から派遣された通称使節団のひとり、カスパー・ブレンワルド氏がヘルマン・シイベル氏と共 に1865年から始めたシイベル・ブレンワルド商会から綿々と続くスイス系商社だ。2015年で150周年を迎える老舗である。

DKSH ジャパンは関東大震災と第二次世界大戦を経て、日本から撤退することなく共に乗り越えた経緯がある。第二次世界大戦時にイギリス系商社やフランス系商社は 日本から出て行った。スイスは中立国であった為、日本から撤退することはなかった。DKSHジャパンは日本でも有数の幕末から続く外国商社なのだ。

創始者であるブレンワルド氏の日記が開国したばかりの日本の歴史資料として価値がある。このブレンワルド氏の日記の翻訳プロジェクトが横浜開港資料館いて 2008年1月から続けられている。今年度中には公開したいとのことだ。DKSHジャパンと横浜開港資料館はこうした関わりがあり、今回の資料を預かるこ とになったのである。

 

さて気になる幻の鞄に資料であるが、「ジェネラル病院の青焼図面」と「アメリカ人建築士J・H・モーガン関係資料」だ。

ま ずはジェネラル病院の青焼図面についての解説が始まった。ジェネラル病院は1867年頃、幕末の横浜にて外国人の診察や治療を行う為に開設され、日本の西 洋医学の普及にも大きな影響を与えたと言われている。だが震災や戦災によって資料が失われてしまった伝説の病院なのである。

今回、発見された青焼図面は1937年の改築した際の平面図であり、これによって今まで知られていなかったジェネラル病院の間取りがわかるのだ。

青木祐介氏は一通り、ジェネラル病院の青焼図面の解説を終えると、次にJ・H・モーガン関係資料についての解説を続けた。

 


J・ H・モーガンは大正12年の東京の丸の内ビルジングの全体の一部の建設に関わった建築士である。他に、横浜山手聖公会や根岸競馬場一等馬見所、ベーリッ ク・ホールや山手111番館のような外国人住宅の建築に携わった。J・H・モーガン関連資料の多くは見積書だ。この見積書は工事全体からすれば一部でしか ない。モーガンによる設計仕様書も残されており、そこから建物全体の細かい仕様がわかる。

まだ細かい分析は終わっていないのだが、例えばコンクリートの割合や玄関周りには花崗岩を使っていたことが分かっている。こうした事実から横浜の建築史研究に大きく寄与することになることが期待される。
青 木祐介氏の解説が終わると、ペーター・ケメラー氏から上山和雄氏へと幻の鞄の寄託式が行われた。幻の鞄は今にも崩れそうなのでこわごわと、しかし慎重に受 け渡されていた。こうして、発表会は無事に終了した。幻の鞄に収められていた歴史的価値のある資料たちのによって横浜史研究は更なる発展を遂げるのだろう か。そう考えると、歴史的瞬間に立ち会ったのかもしれない。

今回、発表会の会場となった横浜開港資料館では、平成25年4月24日から 「上海と横浜 波濤をこえて-夢・汗・涙が都市をむすぶ-」と銘打たれた企画展示が催される。入館料は一般200円、小中学生100円。開館時間は午前9 時30分から午後5時まで。ただし、入館は午後4時30分に締め切られる。休館日は月曜日なのでご注意いただきたい。

この企画展示では、幕末の上海を体験した高杉晋作の手記や、上海の古写真や古地図などが公開される。横浜の歴史に興味がある方は一度訪れてみてはいかがだろうか。

(元弥きと)

 

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紀州生まれのひと。文藝PIERROT管理人。サブカル世界をふらふら歩く突撃ルポライター。妖怪とまんがとアニメをこよなく愛するゆるヲタ。趣味は声遊びと食歩きと考現学検証。基本ふざけています。所属:NHKドラマ部、日刊テラフォー。※下ネタはWJ掲載基準

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