銀座のギャラリーは なぜ衰退したのか?

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東京都築地から少し先の勝どき橋を渡ると、月島という下町風情が広がる町がある。ひと月前ほど前に出かけたのは、その近辺にある空き倉庫を改造したと思われるギャラリー(画廊)へいった帰りの銀座。

学生時代、私は結局予算の都合で、銀座で個展などついに開催などできなかったが、懐かしさと、出かけ銀ブラ(死語?)ついでに立ち寄った。話には聞いてはいたが、確かに海外高級ブランドや出来立てテナント花ざかりの中にあって、ひっそりと入口に案内ハガキを置くような小さなギャラリーは、私の目からはほとんど失われているような印象だった。

銀座で個展を開催するというのは、まず古くはなにがしの会派に属して、先生や誰かのご推薦で企画展を開催するか、ある程度の予算が組めるリッチな作家が、有名無名問わず混在しているところである。それは上野にある東京都美術館や世田谷美術館、そういったメジャーなところで毎年行われる会派の発表会や銀座有名ギャラリー出品者の社交の場であった。

思うにアートと芸術が同義語から離れ、従来のアートシーンの外枠から訪れたアーティスト達が、作品を発表する機会に恵まれるようになってからは、目減りが顕著なのがそうした銀座老舗ギャラリーの広告宣伝のためのポスターである。これは最近本当に皆無に等しい。

それは作家が皆、”高齢化”したからという一般的な理由も一部あるが、それよりも社会として需要がなくなった、あるいは役割を終えたからかもしれないという、WEBでのとある記事を読んで私は納得した。確かにもうその世界で話題に登るのは、従来型の平面に描かれた綺麗な風景や静物画ではない。そういうのは大規模な歴史に名高い回願展などが集客が今でも多くあるといえど、現在のアートの社会需要は名も無き一介の作家であっても、時代に敏感であるべきだからだ。斬新で新しい表現。それこそが今のスタンダードなのだ。

ところが、そうした流れの中でメジャーに多くの作家が話題になり、デビューしたという話はそれほど多く聞かれない。気のせいかもしれないが、確かにメディア取材頻度は昔の若手作家よりは多いだろう。しかしどれも単発で終わっているのが現状だと思う。メディア頼りで調べた結果ではなく、実際にそうしたコミュニティに加わったケースでの印象も同じなのである。確かに選べるアートメディアとしての作品数は多い。しかし商業的としての成功例が、まだリスト化できるほどは揃っていないのだ。これは古い銀座スタイルとは違う。

銀座で個展を開ける若者も、過去にちゃんといたのは確かだが、それは数年、数回の個展の後、静かにフェードアウトするのが常であり、銀座に鎮座するのは、古今東西のある程度実績のある業界ではまだまだ”若手”の失礼だが、おじさん、おばさん作家だったのだ。しかもそうした作家達がいきなり一斉に消息不明になったわけではない。これは銀座の客層が老舗ギャラリーとのジェネレーションギャップを埋めるには開きがあまりに大きかったからだろう。そうなるともう需要は下る一方だ。

客層が30代、40代中心の需要を見込んだ丸の内の商業施設では、その前時代的なアートシーンの経緯を垣間見れる展示物は、興味対象にはならなかった。

結局、需要のある場所を求めて、”就活”でさまようアート若年層によって駆逐されたわけではなく、自然消滅しか道はなかったということなのだ。これはギャラリー経営者にとって厳しい現実である。場所を変えて続けたとしても、もう何処にも昔の銀座を再現してくれる町並みはないからだ。まるで一つだけ再開発に乗り遅れた小さな洋品店のように、静かに余生を送ることだろう。

では、何が今のトレンドなのだろうか?

その意見に「アートは市民権を得るべきだ」の声もある。つまり、閉鎖空間であるギャラリー、画廊の枠を”制限”だと思う心だ。しかし私はそうした主張には多少の違和感を感じてしまう。ならばそれは商業的になったといえるか?という質問には不十分な答え方だからだ。それはすでに教育現場でカリキュラムとして組み込まれ、むしろ効果増を期待するなら、そちらの質向上を問題にすべきで、個人の作家の目標としては荷が重すぎると思う。場の問題ではない。あくまで”芸術とは表現”である。そうした意味で、時々拝見する作家の中には素晴らしいインスタレーションで、その制限を突破してみせる展示も発表されている。

銀座というブランドを捨て、個々の個性に基づいたバリエーションは確かに色彩も、表現も豊かだ。場所もアクセスも現代的なアプローチで、それは生きる今を伝えている。しかし、なぜか潜在的、継続的なパワーを感じない。うつろいゆく神宮外苑に、出現しては消えてゆくアパレルのように感じてしまうのだ。これはいいようのない私の直感ではあるが。

先日、フランシス・ベーコンの珍しい企画展が執り行われた。珍しいというのは、ここしばらくそうしたポップアート全盛同時代か、同じカテゴリに属する現代アート企画展は見かけなかったからだ。

そのチラシのキャッチにはこうある「現代を代表するアートの巨人」と。確かに彼は1992年没の芸術家である。しかし彼の代表作は、実を言うとほとんど日本が終戦を迎えたばかりの頃の作品である。時空を超えて確かに認められるべき作家だが、その名を国立と名がつく”名誉ある”美術館で見る機会は殆どなくなった。そこにあるのはもっと古い巨匠たちの優雅な絵の数々だ。残念だが私の散歩道として、そこに足を向けるような、そういう若き自分に今はもう戻りたくはないが。

会社員やってましたが、自宅にてIDSネットワークを組むことにしたので自宅ワーカーに転じました。ブログ記事(1記事5000字で10記事程度)の”仕事”として2004年から単発的にやってましたが、腰を据えて力試しにやってみようかとエントリーしてみました。テーマなくても自由に書けでもなんでもやります。趣味はスパマーの実態調査です。

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