第37回ノーベル化学賞 ビタミン欠乏症からの脱出!「ビタミンA,B,Cの構造解明」

  by なみたかし  Tags :  

 1937年というと、世界が第二次世界大戦へと向かっていく時期だ。7月、盧溝橋事件により日中戦争が勃発、12月、南京入城、南京事件もこの時起きたとされるが、これは、戦後、東京裁判のためにつくられた、捏造事件だと考えられる。

 この頃、国内では原因不明の病気が蔓延していた。その病名は「脚気」。日中戦争の拡大などにより食糧事情が悪化、毎年1万人から2万人の人が「脚気」を患っていた。この理由として、原因である、ビタミンB1不足がまだ一般によく知られていなかったことがあげられる。その後も、1950年代後半まで、毎年1千人以上の脚気死亡者を出した。

 「壊血病」は、古くから船乗りに怖れられていた病気である。1750年ごろには、新鮮な野菜や果物、特にオレンジやレモンを摂ることによってこの病気の予防が出来ることは知られていた。しかし、当時の航海では新鮮な柑橘類を常に入手することが困難だったことから、長期航海における壊血病の根絶はなかなか進まなかった。壊血病の原因物質である、ビタミンCが発見の構造が発見されたのは1933年、イギリスの化学者ウォルター・ハースによる。

 「夜盲症」は、現在の日本ではほとんどみられないが、栄養状態がよくない国において、子どもたちが失明する重大な原因になっている。この原因物質である、ビタミンAの構造を発見したのがスイスの有機化学者パウル・カラーであった。

 1937年頃は夜盲症(鳥目)や脚気、壊血病などは、原因のわからない恐ろしい病気だった。現在では、ビタミンAやB1,Cの不足で起きる病気であることはよく知られており、ビタミンは5大栄養素の一つにあげられている。当時は、ビタミンA,B1,Cの構造がわかり、病気との関係もようやく明らかになった時代だった。

 こうした時代背景から、1937年のノーベル化学賞はビタミンCの構造を発見した、イギリスの有機化学者ウォルター・ノーマン・ハースと、ビタミンAの構造を発見した、スイスの有機化学者パウル・カラーに贈られた。受賞理由は「炭水化物、ビタミンCの構造研究」と「カロテノイド類、フラビン類およびビタミンA、B2の研究」であった。

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参考HP Wikipedia:ウォルター・ハース パウル・カラー 江崎グリコ栄養成分百科:ビタミンA ビタミンC

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