霞んで見える原発の未来

  by 赤いからす  Tags :  

撮影日、海は波もなく穏やかだった。

周りは釣り客と、虎視眈々とおこぼれを狙っているカモメとカラスだけで、のんびりとした光景が広がっていた。

北海道南西部に位置する岩内町。

人口1万4千人の小さな町の港は、かつて漁船で埋め尽くされていた。今では漁船が指折り数えるくらいしかおらず、釣り糸を垂らす人のほうが多い。

テトラポットの先に見える白い小さな3つの点は、泊原子力発電所の1号機、2号機、3号機である。

海を挟んだ対岸に建つ北海道唯一の原子力発電所は、定期点検中で稼働はしていない。これからの冬の季節、暖房器具は欠かせない。このままだと北海道の電力は綱渡り状態が続く。

泊原子力発電所が着工される前に反対してデモをしたのは泊村近隣の漁業関係者で、原発反対!の看板をよく見かけた。当時、真剣に取り上げていたのは北海道内のニュースで、全国でたまにしか流れていなかったことを記憶している。

原子力発電所ができて潤う泊村とは違い、岩内町は漁業関係者に提示された補償金で、漁業の町という看板を渡してしまった。

意外とすんなり決まってしまった原発の建設。防災無線などが各家庭に装備され、もしも、のときは覚悟していた。

人間が作った物に絶対に安全なものはない。

政府は「30年代原発ゼロ」の環境戦略を打ち出した。

毎週金曜日に4月から始まった首相官邸前で行われている反原発抗議デモは、全盛期の盛り上がりからくらべると人数が減ったとはいえ、いまだ熱が冷めずネットでデモの様子がLIVE中継されている。

反原発のデモに参加している人達は、東北があんなことになるまで、原発が安全だと本気で思っていたのだろうか。

彼等が口々に言うのは「未来のため」「子供達のため」である。

ニュース番組、情報番組のキャスターやコメンテーターはいつのまにか反原発が当たり前のように話をまとめている。いままではマスコミから流される傾向があったのに、今回は反原発デモの大きさが引き金になり、マスコミが流されているように映る。

泊原発1号機の運転開始が1989年。現在デモに参加している人達の中に当時反原発を心の隅でもとどめていた人はいるのだろうか。

莫大なお金を使い、長い時間を費やして建てた原発をいまさらナシにするなんて、そうそうできるものではないだろう。原子力村の人達の築き上げてきたものをぶち壊すには、彼ら以上の意地や信念のパワーが必要である。

世論調査で脱原発を支持する人は8割に及ぶ。なのに、市民団体や受け入れ先の地元住民から福島の瓦礫を強烈に拒んでいる姿は矛盾を感じる。彼らは福島に赴いて「瓦礫受け入れを拒否する!」と、官邸前と同じようなシュプレヒコールを上げる勇気はないだろう。

政府の「30年代原発ゼロ」に対して、デモ参加者からは「30年では遅い!」という声がある。

原発が建ってからでは、もう手遅れなのだ。

マスコミをはじめ、どうして原発ができる前にもっと声を上げないのだろうか。

9月15日に枝野経済産業相が、建設中の大間原子力発電所などの工事継続を容認する意向を示した。

原発がゼロになる日は、上の写真のように霞んで見える。

 

 

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