日本人の死生観 いのちの「不可逆性」と「不死感」

  by こむろー  Tags :  

■みなさんは、死んだ人間が生き返ったりすると思いますか。……と聞くと、ほとんどの人は「死んだ人間が生き返るわけがない!」と答えるでしょう。その通りです。死んだ人が生き返って動き出すことは有りえないのです。しかし、2005年に長崎県教育委員会が、小中学生約3600人を対象に実施したアンケートの結果によると、「死んだ人が生き返ると思うか」という質問に555人(15.4%)が「はい」と回答したというのです。10年以上も前の調査結果ですが、とても衝撃的です。同じような調査は他の地域でも行われていて、だいたいどこでアンケートをとっても1~2割の子どもは「死んだものが生き返る」と答えているようです。

 この事態を危険視した日本の教育界は、「いのちの教育」において「死んだら絶対に生き返らないんだ。いのちは一度きりなんだ」ということを子どもに教え込もうとしてきました。文部科学省が全国の小・中学校に配布している道徳教育用教材『私たちの道徳』にも、「あんなに元気だった祖父が息もせず、静かに眠っている。いつもそばにいた大切な人が、もう二度と、笑顔を見せたり、私に話し掛けたりしない」という文章が載っています。死んだものは絶対に生き返らない……この考え方をいのちの「不可逆性」と言います。

■では、なぜ「不可逆性」を理解できない子どもが増えているのでしょうか。その主な原因は「ゲームの世界では死んでもすぐに生き返るから」だと考えられています。実際にそのように回答した子どももいるのです。「ゲームの世界」に慣れてしまった子どもたちは、現実世界でも「死んでも生き返るんだ」と信じてしまっているということなのでしょう。もちろん、ゲームをしている子どもすべてがそのような考え方をするわけではありませんが、「ゲームの世界」と「現実世界」が区別できなくなってしまう子ども一定数存在するという事実は、とても危険なことだと思います。「現実世界」では、死んだ人が生き返ることは絶対にありません。生き返らないからこそ、たった一度の人生を大切にしなければいけないし、他者の「いのち」も尊重しなければいけないのです。

■一方で、いのちの「不可逆性」とは相反する考え方を示す言葉もあります。それが「不死感」という言葉です。「たとえ体は死んでも心や魂はなんらかの形で生き続けるような気がする」というような意味です。たとえば「死んだおじいちゃんがそばで見守っている」と言っても、私たちが違和感を抱くことはほとんどありません。また、仏壇に向かって話しかけたりすることもごく普通の光景だと思います。死んでしまっていても、霊魂や心は存在し続けていて、きっと温かく見守ってくれている。そんな気持ちを「不死感」と言うのです。「死んだら終わり」を理解しつつも、心や魂に関しては「死んでも生き続けている」という考え方を私たち日本人は一般的に持っているのです。

■「不可逆性」を信じ込むことは、「不死感」を否定することになってしまうのではないでしょうか。たしかに死んだ「体」が生き返って動き出すことはありません。でも、魂や心は死んだあとも私たちのそばに寄り添い、見守っていてくれるという考え方を私たち日本人は持ち続けてきたのです。もちろん、死生観は十人十色で個人の思想や信仰する宗教によっても異なってきます。大切なことは、ある一つの「死生観」を強要することではなく、多様な考え方が存在することを認め合うことではないでしょうか。「死んだ人が生き返ると思うか」という問いに「はい」と答える子どもが増加したからといって、学校でいのちの「不可逆性」を必死になって教え込むというのはやや的外れな気がします。当然、「死んだら生き返らない」を理解することは非常に重要ですが、それだけでなくもっと広い視野に立って「生」「死」「いのち」について考えていかなければならないと思うのです。「死後の霊魂の存続」を尊重する私たちの伝統的な価値観も大切にしていかなければなりません。

※画像は「イラストAC」(https://www.ac-illust.com/)より

こむろー

中学校・高校の非常勤教員です。関心のある分野は「いのちの教育」「社会科教育」「宗教学」などです。