「アクティブ・ラーニング」批判 「流行」に乗せられて変節する教員の稚拙さ

■「アクティブ・ラーニング(AL)」とは何か。文部科学省の用語集によると、「教員による一方向的な講義形式の授業とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称」だそうだ。これだけではよくわからない人も多いと思う。朝日新聞のキーワード解説によると、「生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら課題を解決する力を養う」授業手法がアクティブ・ラーニングだという。
 はじめに言っておくが、私は「アクティブ・ラーニング」という言葉が大嫌いだ。教育現場でこの言葉を耳にすると、激しい嫌悪感を覚える。もちろん「生徒たちが主体的に参加、仲間と深く考えながら課題を解決する」授業手法を批判しているわけではない。ただ「アクティブ・ラーニング」という言葉が嫌いなのだ。ALが日本の教育界で唱えられるようになったのは、2010年代に入ってからだと思う。以降、学習指導要領や中央教育審議会答申にも登場するようになり、急速に注目を集めている。ALは現在の教育業界の「流行」だ。しかし、教師は「流行」に乗せられて教育観や授業手法を変節するべきではないと思う。真剣にALを研究している教師はまだ良いが、ただ単に「流行っているから」という理由で授業にALを導入しようとする教師がいるのなら、それは非常に稚拙ではないだろうか。

■AL的な授業手法というのは最近になって急に湧き出したものではなく、以前から存在していた。「グループワーク」「話し合い学習」「協同学習」など言い方は違えど、これらはアクティブ・ラーニングと同様のものだと思う。「グループワーク」や「話し合い」は私も授業で度々用いるし、効果的な学習方法だと確信している。しかし、「アクティブ・ラーニング」を自分の授業に導入したいとは思わない。ただ言い方の違いではあるが、その「言葉」の流行に乗せられてしまうのは、教師としていかがなものか。昔から存在する「グループワーク」「話し合い学習」で良いのではないだろうか。

■そもそも、ALは子どもたちの学力を高める万能薬ではない。ALを行う際には、前提となる「知識」が子どもたちに定着していることが求められる。そうでなければ、有意義な学習とはならない。いきなりテーマを与えて「仲間と話し合いなさい」と言っても、それは子どもたちの混乱を招くだけだ。語句の意味・背景・前後関係などの「知識」を講義形式の授業で子どもたちに教授し、理解させてからでなければALの真価は発揮されない。それに、時間的な制約から毎回の授業でALを導入することは非常に難しいだろう。ALは従来の講義形式の授業に代わるものではなく、講義形式の授業を前提とした上で成り立つ限定的な授業手法だと思う。それに、講義形式の授業であっても教師の工夫次第で、いかようにも能動的で双方向的な学習は実現できる。

■繰り返しになるが、AL的な授業手法を否定するつもりは毛頭ない。私が違和感を覚えるのは、「アクティブ・ラーニング」という言葉の流行に乗せられたやすく変節する教員の姿勢である。今後の授業では、私は講義形式の一方向的な学習に終始するつもりはないし、生徒が主体的に参加できるような工夫はどんどん重ねていきたいと思う。しかし、「アクティブ・ラーニング」という言葉を用いるつもりは一切ない。保守的かもしれないが、「グループワーク」「話し合い学習」「協同学習」といった語を用いるようにしたい。

■最後に、教育実習等でアクティブ・ラーニングを導入しようと検討している学生に対して一つ忠告したい。学生にとっては「実習」であっても、授業を受ける生徒にとっては「本番」である。「実習」だから失敗しても良いという考えは極めて無責任で、生徒は同じ授業をやり直しで受けることはない。生半可な気持ちでALを導入するのは控えてほしい。もし本当にALを実践したいのなら、慎重な検討と研究を重ねた上で行うべきだろう。

※画像は「イラストAC」(https://www.ac-illust.com/)より

こむろー

中学校・高校の非常勤教員です。関心のある分野は「いのちの教育」「社会科教育」「宗教学」などです。