通勤大革命!!イスなし?!6DOORSの軌跡

  by kenttakamatsu  Tags :  

分刻みで次々と発着する通勤電車、ドアが開くたびに激しく入れ替わる利用客…

特に首都:東京は日本の人口の約1割に当たる約1300万人の人が密集しています。

東京に隣接する神奈川、埼玉、千葉、茨城などはベッドタウン化が進み、郊外に向かう電車も常に満員状態。

大都市の通勤ラッシュはまさに通勤・通学客たちの闘いと言っても過言ではありません。

今では首都圏の通勤電車はほとんどの路線が10両編成、あるいは15両編成があたりまえになった時代。

しかし日に日に深刻化する通勤ラッシュはさばき切れません。ダイヤにも編成両数にも限界があります。

鉄道事業者は毎朝のように発生する列車の遅延、混雑対策に頭を悩ませているところも多いはず…。

事業者によっては車体片側のドアを従来の4つから5つに増やす、ドアの幅を広くするなどアイディアをひねり出しました。

そんな通勤ラッシュ対策を改善するために誕生し、一時代を築いた活躍した車両があるのをご存知でしょうか?

東日本旅客鉄道(JR東日本)と東京急行電鉄(東急)が運転している6ドア車です。

今回はもう一度、通勤ラッシュを支えてきた6ドア車たちがどのような路線で活躍したのか、ふりかえってみましょう。

そもそも6ドア車ってなんで生まれたの?

では本題に入る前になぜ車体の片側に6つもドアを持つ車両が誕生したのでしょうか。

通勤型電車は片側のドアは基本的に4つとされています。まずは6ドア車が誕生した背景を見てみましょう。

1990年代前半、首都圏の通勤ラッシュは現在と同じく深刻な状況におかれていました。

時代はバブル経済が崩壊する直前。どの路線も混雑は深刻化する一方で遅延や混雑による車両故障なども多発していました。

走らせられる電車の本数も、1編成あたりに組成できる両数にも限りがあります…それでも利用客は増え続ける一方です。

深刻化する通勤ラッシュを効率良くさばく方法…車体のドアを増やせば乗り降りにかかる時間が短縮できて遅延を防止することができる。

座席をたためば、その分だけ車内にスペースができて1両あたりさらに乗車定員を増やすことができる!!!

車両全てのドアが増やせなくても、最も混雑する車両のドアを増やせば混雑緩和につながる!!!

こういった通勤ラッシュの背景から誕生した苦心作が片側にドアを6つ持つ、6ドア車だったのです。

座席収納に伴って車内中央部には立客用のつかみ棒『スタンションポール』が設置されたほか、床に暖房機能を持たせる床暖房が採用されました。

従来の4ドア車の車両と比べると車内が開放的になった印象を受けますね。

このほかに従来よりも出力が強力な冷房装置が搭載されたほか、車内の圧迫感を抑えるために窓が縦長になるなどさまざまな工夫もこらされています。

座席が減少して、吊革が増える…朝ラッシュ時は座席を収納する…これまでの車両とはちがった施策が次々と取り入れられました。

椅子無し電車…お客は荷物か!!

ところがいざ6ドア車が導入されると意見は賛否両論に分かれました。

ドアが増えたことにより乗り降りにかかる時間は4ドア車と比べて短縮されました。6ドア車の効果発揮です。

しかし朝ラッシュ時に座席を収納したことや、4ドア車と比べるとドアが増えた分だけ座席が減ったことが利用者から反感を買うことになります。

4ドア車が約50席に対して約30席に。反対に吊革の数は約150個に増えました。さてここで1人でも多くの人を乗せられるようにした設計が仇となります。

ところが利用者からは『1人でも多く乗せられる』が『1人でも多く詰め込む』と捉えられたのでしょう。

『お客は荷物か!』『椅子無し電車じゃないか』と批判の声も上がり、6ドア車は早くも賛否両論に分かれる結果となってしまったのです。

それでは次に6ドア車が首都圏のどの路線に導入されて活躍したのか…路線ごとに見てみましょう。

6ドア車導入路線① JR山手線 平成2年(1990年)3月10日~平成23年(2011年)8月31日

都内をぐるりと1周するJR山手線でも上野駅と御徒町駅の間で乗車率が250%(車内でほとんど身動きが取れない)を超えていました。

当時は上野東京ラインは影も形もなく、宇都宮線、高崎線、常磐線の中距離電車が上野駅で終点であった時代。

そこから都心部へ向かう利用者が山手線と併走する京浜東北線に集中していたのもこの区間の乗車率急上昇の理由のひとつでした。

混雑緩和対策として、当時は10両編成で運転されていた山手線は1両、車両を増結して11両編成にすることになります。

その増結する車両が片側にドアを6つ持つ6ドア車…。6ドア車発祥の路線はずばり皆さんご存知の山手線だったのです。

当時山手線は205系で統一されていたこともあり、既存の編成に組み込むため205系名義で製造され、6ドア車サハ204形が誕生しました。

平成2年(1990年)3月10日から山手線205系1編成(10両編成)のうち2両を試作車サハ204形900番台を組み込んで試験を開始。

両端の先頭車両の次位や編成中、6ドア車を2両連続で組み込むなど連結位置を変更して様々なデータの採取が行われます。

試験の結果、サハ204形は10号車に組み込まれることに決まり平成3年(1991年)12月1日から量産車を組み込んで本格的に運用が開始されました。

10号車への6ドア車連結は急ピッチで行われ、12月9日までに検査入場中の編成をのぞき全山手線205系が11両編成化が達成されました。

初の6ドア車となったサハ204形はさまざまな技術が盛り込まれ、当時は大きな話題となったのも懐かしいですね。。

※実車の写真が手許にないため模型にてご容赦願います。

中でも特筆できるのはドア上に文字放送モニターが設置されたことです。この文字放送モニターはニュースや天気予報、CMなどを流すことができます。

筆者も山手線205系に乗る機会はよくあり、サハ204形に乗ると『ドアの上にテレビが付いてる』と驚いたのが懐かしい思い出がよみがえります。

今では首都圏の通勤電車のほとんどの車両がドア上にモニターを設置し、広告媒体や運行情報の案内提供などサービス向上につなげていますね。

サハ204形では製造された時代が時代でしたのでブラウン管モニターでしたが、今の車両は液晶によるカラフルで鮮明な映像が流れるようになりました。

しかし1990年代はドア上にモニターを設置している車両はほぼ皆無の時代。まさに未来を先取りした車両でもありました。

車体屋根に設置されたアンテナをつたって映像が流れるのですが、走行中はよくノイズが入って映像が乱れていた記憶があります。

山手線は平成14年(2002年)4月21日から205系に変わって新たにE231系500番台が投入されました。

E231系500番台は205系と同じ11両編成です。6ドア車、サハE230形500番台が誕生しました。

6ドア車はさらに1両増え、新たに7号車にも組み込まれているのが特徴です。7号車は山手線各駅で比較的改札口(階段)へ近い位置というのも理由でしょう。

10号車は205系時代に引き続き連結をされました。文字放送モニターは液晶モニターに代わり、カラフルで鮮明な映像が流れるようになります。

E231系は205系と比べると車体幅も広くなり、1編成あたりの乗車定員も増加しました。

平成17年(2005年)4月17日をもって山手線から205系は引退。6ドア車サハ204形は埼京線と横浜線へ転属となり姿を消しました。

E231系500番台では2両に増えた6ドア車。1両あたり48ヶ所ものドアが並び山手線の通勤ラッシュを支えてきました。

ところが人身事故対策や混雑するホームの安全性を高めるために山手線全29駅にホームドアが設置されることになったのです。

ホームドア設置に干渉する6ドア車は順次、新造する4ドア車と差し替えられて編成からはずされることになりました。

設置に先立って平成22年(2010年)2月20日、6ドア車取り替え用の4ドア車が営業運転を開始。

前日の2月19日をもって朝ラッシュ時に行ってきた座席収納が廃止されました。

順次、4ドア車と交換されて編成から外された6ドア車はその特殊さから転用されず、全車両が廃車解体となりました。

廃車された6ドア車から再生可能な部品は新造される4ドア車に転用されましたが、山手線6ドア車は21年の活躍に終止符を打ちました。

ドア車導入路線② JR横浜線 平成6年(1994年)12月3日~平成26年(2014年)8月23日

山手線に続く6ドア車の導入路線は八王子駅と東神奈川駅を結ぶ横浜線です。

これまで7両編成で運転されていた横浜線を8両編成化することになり、その増結車両として6ドア車が導入されました。

横浜線も山手線と同じく205系で統一されていましたので、増結される6ドア車はサハ204形となります。

当時は205系の製造から209系に移行していた時期でしたので、一部の設計に209系の仕様が取り入れられ、サハ204形100番台に区分されました。

山手線で採用された文字放送モニターは横浜線にモニター支援設備が整備されていないこともあり、設置は見送られています。

横浜線で最も混雑する2号車に連結され、当時横浜線で運転されていた205系全編成に6ドア車が組み込まれました。

最終的に他路線から転属してきた205系も含めて、横浜線の205系は28本となりました。(このうち1本は6ドア車が非連結のオール4ドア編成)

しかし老朽化が進み、平成26年(2014年)2月16日から後継のE233系6000番台が営業運転を開始。

入れ替わるように205系は営業運転から離脱し、一部の編成は廃車となりましたが大半の編成はインドネシアへ6ドア車も含めて譲渡されています。

後継のE233系6000番台も205系同様に8両編成ですが、車体幅が広くなったこともあり6ドア車は連結されませんでした。

2014年(平成26年)8月23日を最後に横浜線205系は全車両が引退し、横浜線6ドア車は約20年の活躍に終止符が打たれました。

ドア車導入路線③ JR京浜東北線 平成7年(1995年)5月24日~平成22年(2010年)1月24日

横浜線に6ドア車が導入された翌年の1995年(平成7年)5月24日からは京浜東北・根岸線(以下、京浜東北線)にも導入が開始されます。

埼玉県大宮駅から神奈川県大船駅まで東京を南北に横断する約80キロの大動脈です。

ちょうど京浜東北線は103系から209系へ世代交代を行っている最中で、6ドア車初の新形式サハ208形が誕生しました。

基本的な設計はサハ204形に準じていて209系仕様の製造されたといったところでしょうか。

文字放送モニターは横浜線と同じ理由により設置されませんでしたが、209系では各ドア上に案内表示器を設けましたのでこちらは設置されました。

これまでと異なる経緯としては増結扱いではなく既存の車両と差し替えて組み込まれたことです。

山手線、横浜線は増結車両として既存の車両に6ドア車を組み込み、前者が11両、後者が8両化されました。

駅数の多さや長距離に及ぶ京浜東北線ではホームの延伸工事等が困難にであったことも増結ではなく差し替えに至った理由と思われます。

京浜東北線では10両編成のほぼ中央に来る6号車に組み込まれました。6号車に6ドア車…偶然なのか狙ったのか、『6』にこだわっていますね。

これまで6号車に組み込まれていた4ドア車(サハ209形)は今後製造される編成の中間車に転用され、有効活用されました。

京浜東北線は6ドア車が全編成に組みこ込まれたわけではなく、209系0番台78本のみに組み込まれました。

当時は試作車である900番台、910番台、920番台が1本ずつ在籍していましたが仕様が異なることから連結は見送られています。

※実車の写真が手許にないため、模型にてご容赦願います。

そのため6ドア車を組み込んでいない車両と識別するために先頭車両と6ドア車のドア上に『6DOORS』と書かれたステッカーが貼りつけられました。

6ドア車を組み込んでいることを象徴するこのステッカーは京浜東北線から始まったんですね。

京浜東北線に209系の投入が完了した平成10年(1998年)3月の時点で6ドア車は山手線、横浜線、京浜東北線の3路線に進出したことになりますね。

209系0番台は78本と大量に投入されたこともあり、横浜線が乗り入れる東神奈川駅~大船駅では2路線の6ドア車を目にすることができました。

しかし京浜東北線209系は車齢が若いものの車両故障が頻発するようになり、平成19年(2007年)12月22日より後継のE233系1000番台がデビュー。

当初はE233系にも6ドア車が連結される予定とされていましたが、車体幅が広くなったことや混雑緩和が見込まれることから連結が見送られました。

209系は編成単位で廃車になったものもわずかにありますが、半数以上の車両が南武線や房総各線に転用されています。

しかし6ドア車は転用先は見つからず、山手線E231系500番台のサハE230形500番台と同様にその特殊性から全車両が廃車解体となりました。

209系は平成22年(2010年)1月24日で引退し、京浜東北線6ドア車は約15年におよぶ活躍に終止符を打ちました。

6ドア車導入路線④ JR総武線 平成11年(1999年)3月27日~

平成11年(1999年)3月27日から中央・総武線(以下、総武線)に209系950番台が1編成投入されました。のちにE231系900番台となる車両です。

この車両にも京浜東北線と同様に編成のほぼ中央にあたる5号車に6ドア車(サハ208形950番台)が組み込まれました。

209系950番台は車体の裾を絞った拡幅車体となりましたので、6ドア車では初の拡幅車体となった点が特徴です。

平成12年(2000年)3月には209系950番台の量産型となるE231系0番台が登場し、950番台で連結された6ドア車も引き継がれています。

ここで6ドア車の新形式、サハE230形が誕生しています。(先述の山手線サハE230形500番台の登場は平成14年(2002年))。

京浜東北線209系と同様にE231系は先頭車両と6ドア車のドア上に『6DOORS』と書かれたステッカーが貼りつけられました。

209系950番台はE231系がデビューした同年6月12日をもってE231系に編入され、E231系900番台に改番。

それに伴い、サハ208形950番台もサハE230形900番台に改番されています。形式変更のみで209系時代と大きな変化はありません。

総武線に投入されたE231系には6ドア車が基本的に全編成に連結されていました。

しかし平成26年(2014年)12月1日より、山手線に新型車両、E235系量産先行車が投入されるに先立って、同線の500番台が1本転入。

500番台の6ドア車は先述のように平成23年(2011年)8月31日に4ドア車に全て取り換えられていますので、6ドア車は連結されていません。

さらに平成27年(2015年)3月15日の上野東京ライン開業に伴い、乗り入れる常磐線で列車増発が行われることになりました。

不足する車両を補うため、総武線E231系の一部編成が常磐線に転属することになり、転用工事が実施されます。

その際、転属する編成に組み込まれていた6ドア車は余剰となることから、これまでの6ドア車と同様に廃車・解体となりました。

平成28年(2016年)5月22日には2本目のE231系500番台が山手線から転入。

ほぼ同時期に山手線E235系の量産車投入が発表され、既存のE231系500番台は総武線へ転属することが正式に発表されました。

今後も山手線にE235系が投入されると入れ替わりにE231系500番台が総武線に転属してきます。

E231系0番台は武蔵野線、川越線と八高線に転属されることも明らかになりました。

どの路線も10両編成ではなく、8両、あるいは4両で運用される路線。大規模な編成組み換えが予想されます。

その際はこれまでの経緯から、特殊な存在である6ドア車が余剰廃車になる可能性も否めません。

今後の6ドア車の動きに注目が集まります。

6ドア車導入路線⑤ JR埼京線 平成13年(2001年)8月6日~平成26年(2014年)2月5日

平成14年(2002年)4月21日から山手線にE231系500番台が導入されるに先立ち、平成13年(2001年)に山手線205系に動きが生じます。

もともと山手線205系は6ドア車が投入された時点で53本在籍しており、全ての編成に6ドア車が組み込まれたので53両の6ドア車が活躍。

ところが平成8年(1996年)3月16日に埼京線の新宿駅~恵比寿駅の延伸開業によって増発用に山手線205系が1本、埼京線に転属しました。

その際は6ドア車が1両抜き取られた10両編成で転属し、編成から外れた6ドア車は長らく保留車扱いとなっていました。

ちなみに保留車となっていたのは山手線の項で述べた試作車のサハ204形900番台のうち1両です。

山手線から運用離脱した205系は首都圏各地の路線に転属されましたが、6ドア車は埼京線と連結実績があった横浜線へ転属されることになりました。

それに先立ち、保留車となっていたサハ204形900番台を1両、埼京線に転属させて試験的に6ドア車を組み込むことになります。

平成13年(2001年)当時、埼京線は全列車が205系で統一されていました。東京臨海高速鉄道りんかい線と相互直通運転を開始は翌年12月1日からです。

埼京線も京浜東北線と同じく、既存の4ドア車と交換して6ドア車が組み込まれました。組み込まれたのは2号車です。

入れ替わりで編成からはずされた4ドア車は先頭車改造や他路線転属組の中間車として新たな活躍を始めています。

さらに、りんかい線との直通運転を目前に控えた翌年の平成14年(2002年)6月10日からは3号車にも6ドア車が組み込まれました。

2号車、3号車と2両連続で6ドア車が組み込まれるのは以後の埼京線6ドア車組み込み編成の標準的なスタイルです。

京浜東北線209系や総武線E231系の6ドア車組み込み編成と同じく、先頭車両と6ドア車のドア上に『6DOORS』と書かれたステッカーが貼りつけられました。

ちょうど山手線205系がE231系と世代交代を行っている時期で、山手線から埼京線へ6ドア車の『引っ越し』が慌ただしく行われたのです。

山手線205系6ドア車の特徴的であった文字放送モニターは残念ながら支援装置の関係で転属時に撤去されてしまいました。

最終的に山手線205系6ドア車は埼京線に52両、横浜線に1両転属。6ドア車は埼京線205系32本中、26本に2両ずつ組み込まれました。

平成25年(2013年)6月30日から後継のE233系7000番台が営業運転を開始し、205系は順次置き換えられていきます。

6ドア車活躍路線で後継にE233系が入った京浜東北線や横浜線と同じく、車体幅が広くなったこともありE233系では6ドア車は連結されませんでした。

205系は廃車になったものもありますが、一部の編成が6ドア車も含めてインドネシアへ譲渡。埼京線時代と同じく6ドア車を2両連続で連結しています。

しかしそのいっぽうで試作車であったサハ204形900番台は譲渡はされずに廃車となり、6ドア車の原点が姿を消してしまいました。

埼京線205系自体は現在も1本のみがATACS改造予備車として残されていますが、6ドア車は組み込まれていません。

最後まで残った埼京線6ドア車は平成26年(2014年)2月5日をもって運用から離脱し、埼京線6ドア車は約12年に及ぶ活躍に終止符を打ちました。

6ドア車導入路線⑥ 東急田園都市線 平成17年(2005年)2月14日~

これまで6ドア車はJR東日本のみで連結されていましたが、ついに他社の大手私鉄にも進出することになります。

採用したのは東京急行電鉄(以下東急)で混雑の激しい田園都市線に導入を決定し、平成17年(2005年)2月14日から営業運転を開始しました。

田園都市線で活躍する5000系に組み込まれ、埼京線と同じく10両編成中、2両が4ドア車から6ドア車となりました。

6ドア車は渋谷駅ホームの階段が近く最も混雑する傾向にあることから編成中の5号車と8号車に組み込まれます。

埼京線や京浜東北線と同じく、既存の4ドア車と交換する形で組み込まれたので、編成からはずされた4ドア車は東横線などへ有効転用されました。

JR東日本で導入された6ドア車と同じく床暖房を採用し、吊革の増設、スタンションポールの設置など基本的な内装レイアウトは同じです。

また6ドア車組み込み編成とそうでない編成が混在することから、識別のステッカーも貼りつけられています。

デザインはJR東日本から承諾を得て同様のものとし、先頭車両と6ドア車のドアの上に『6DOORS』と書かれたステッカーが貼りつけられました。

当初は2両組み込まれていた6ドア車は平成21年(2009年)4月よりさらに4号車にも組み込まれました。

この増結により、6ドア車は3、4、8号車と1編成中に3両組み込まれることになり、田園都市線の混雑対策がさらに強化されることになります。

JR東日本でも6ドア車は埼京線と山手線に2両ずつ組み込まれたのが最大ですので、3両組み込みは他に例がありません。

朝ラッシュ時の準急列車に集中的に投入したこともあり、最も混雑が激しい渋谷駅では、停車時間が短縮されるなどの効果をあげました。

田園都市線で活躍する5000系のうち15本が6ドア車3両の編成となって6ドア車はその力を最大限に発揮しました。

ところが、東急は田園都市線に山手線と同じくホーム上の安全を確保するために東京オリンピックが開催される平成32年(2020年)までにホームドア設置を発表。

6ドア車は設置に干渉する(後述)ことから平成29年(2017年)までに6ドア車を編成から外して再び従来の4ドア車に戻すことが計画されています。

すでに一部の編成が6ドア車は外されて新製された4ドア車と交換されています。姿を消すのは時間の問題といってもいいでしょう。

大手私鉄にも華々しく進出した6ドア車ですが、わずか10年足らずで姿を消してしまうのは非常に残念でなりません。

消えゆく6ドア車…そのわけとは?

各線ごとの6ドア車の活躍について触れてきました。6ドア車が活躍したのは以上のJR東日本5路線、東急1路線の計6路線です。

そのうち、京浜東北線と山手線、埼京線と横浜線はすでに営業運転を終了しており、残るは総武線と東急田園都市線の2路線のみとなっています。

このことから6ドア車はだんだん姿を消しつつあることが分かりますね。6ドア車が姿を消す大きな理由として次の2つが考えられます。

まずは後継の新型車両によって置き換えられて姿を消したことです。京浜東北線、埼京線、横浜線がこれに当てはまります。

3路線とも後継には車体の幅が広くなったE233系が入りました。車体の幅が広くなったことで1両当たりの乗車定員がわずかに増加されます。

また6ドア車の導入当初に比べて少子化や併走区間の相互直通運転の拡大など新たなアクセスルートも誕生したことも背景にあります。

利用客の流れも、時代環境も6ドア車が導入されたときとは大きく変わったことも挙げられますね。

さらに導入当初に批判の対象となってしまった着席サービスの減少もやはり利用客からは不評であった部分は否めませんでした。

朝ラッシュ時以外は座席をたたまずに運行をどの路線もしましたが、やはりドアが増えた分だけ座席が減ったのが裏目に出てしまったようです。

埼京線と横浜線に関しては205系の一部の編成が6ドア車も含めてインドネシアへ譲渡されて新たな活躍を開始しました。

一方で京浜東北線は209系の一部編成が機器更新を行ったうえで南武線と房総各線へ転属となりましたが、6ドア車は転用されずにすべて廃車となりました。

その特殊さから有効な転用先がなく、209系の活躍路線が京浜東北線以外では少数であったことから転用が見送られたものと考えられます。

つぎにホームドア設置に伴って置き換えられる事例です。山手線と今後、置き換えが予定されている東急田園都市線が当てはまります。

全車が4ドア車、一部が6ドア車と編成が混在する路線では駅で停車したときの車体ドアの位置が大きく異なることになります。

これがホームドアの設置によって6ドア車が干渉してしまう理由です。ドア位置が異なるとホームドアの機器が設置できません。

※中にはドア数が異なっていても対応ができる昇降ロープ式ホーム柵というタイプもありますが、山手線での設置は行われませんでした。

山手線はホームドア設置前は全編成に6ドア車が組み込まれていましたので、4ドア車を組み込んだ編成との混在はありませんでした。

しかし田端駅と田町駅のあいだにかけては併走し、ホームを供用する京浜東北線の電車が保守工事やダイヤが乱れた際に山手線の線路を走行することがあります。

E231系500番台で6ドア車が組み込まれていた7号車と10号車は、京浜東北線ではいずれも4ドア車が組み込まれている位置。

もし京浜東北線の電車が山手線の線路を走行した場合を想定し、ホームドア設置によって山手線6ドア車の存在がネックとなってしまったのです。

京浜東北線E233系1000番台も当初は6ドア車連結を計画していましたが、最終的には209系より拡幅車体となり1両あたりの定員が増加したことから連結は見送られました。

後々に山手線ホームドア設置決定によって6ドア車は邪魔者扱いをされてしまいましたので、結果的に連結をしなくて正解だったのかもしれません。

先述のように平成22年(2010年)2月から平成23年(2011年)8月にかけて6ドア車は新造する4ドア車へと置き換えられました。

残念ながら6ドア車は全車両が廃車解体の道をたどりましたが、一部の機器類は新造される4ドア車へ転用してコストダウンを図っています。

ちなみに山手線E231系の新10号車に組み込まれたサハE231形4600番台は編成中でも異色の存在。

のちにE235系10号車への転用を前提に製造されているほか、内装も既存のE231系とは大きく異なります。

さらに京浜東北線E233系1000番台の10号車(先頭車)に合わせてドアや車端部の窓配置が変更されているのも特徴です。

いっぽうで東急田園都市線は平成28年(2016年)1月12日より新しく4ドア車が一部の6ドア車を置き換えて営業運転を開始しています。

新しく組み込まれる4ドア車は既存の5000系の内装を変更したものになります。

座席も背もたれが通常より高い「ハイバック仕様」とされ、戸袋部分の座席にはヘッドレストも設置されるなど、アレンジが加えられています。

さらに車内のバリアフリー対策も強化され、荷物棚を低くする、車椅子スペースにもなるフリースペースの設置も行われます。

平成29年度(2017年度)までに東急5000系の6ドア車は順次、この4ドア車に置き換えれます。

結果的に東急5000系の6ドア車は山手線E231系500番台の6ドア車と同じ運命をたどることになってしまいました。

東急田園都市線の6ドア車も4ドア車への置き換えが開始され始めたことに伴い、最後まで残る6ドア車は総武線になります。

しかし先述のように山手線E235系の量産車投入が発表され、既存のE231系500番台は総武線へ転属することが正式に発表されました。

今後も山手線にE235系が投入されると入れ替わりにE231系500番台が総武線に転属してきます。

E231系0番台は武蔵野線、川越線と八高線に転属されることも明らかになりました。

いずれも現在組成している10両編成ではなく、8両編成や4両編成が活躍する路線。

転用に伴う著しい編成組み換えが行われることが予測されますが、おそらく特殊性のある6ドア車は余剰廃車になる可能性も否めません。

今後の6ドア車の動きに目が離せません。これまでの経緯と同じく、廃車となってしまうのか…

おわりに

深刻化する都心の通勤ラッシュを改善するために誕生し、通勤・通学輸送に大革命をもたらした6ドア車。

賛否両論あった車両ではありましたが、さまざまな工夫を凝らして活躍をした6ドア車の功績は非常に大きかったものと言えるでしょう。

これもひとつの時代を象徴する鉄道史の1ページをかざる名車両です。各線で活躍してきた6ドア車の活躍をふりかえってみて筆者も実感したところでした。

現在、みられる6ドア車は東急田園都市線とJR総武線の2路線。いずれもここ数年で見られなくなる可能性が高い路線です。

普通の4ドア車とはまたひと味違う、ドアがたくさん並んだ6ドア車ならではの独特の空間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

先頭車両と6ドア車に貼られている『6DOORS』ステッカー。

このステッカーを誇らしげに輝かせて走る姿を見られるのは残りわずかです。

ゲーム・PC・アニメなどについて主に書いていく予定です。

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