懐かしい珍バイト列伝~時代劇ロケ地ガイド~

今から10年ほど前、2006年の暮れに、時代劇ファンをやきもきさせる一つのニュースが世間に流れました。

そもそもの事の発端は、「暴れん坊将軍」や「遠山の金さん」などの時代劇にたびたび登場する、滋賀県近江八幡市の八幡堀に架けられた小さな木橋が、河川法違反の不法占用にあたるとして、県から撤去を求められたことに始まります。

この橋は、近江八幡市が1995年の市立かわらミュージアムが開館した際に、周囲の景観とマッチするようにと、2隻の小舟を橋脚代わりにして長さ約7メートル、幅約3メートルの小さな橋を掛けたものですが、建設許可の必要な県に対して、承諾を得ないまま木橋を架けてしまったものだそうです。

その後、10年間、県の許諾を得ていないため正式名称はないまま、「船橋」と呼ばれるようになり、年間100万人の観光客が訪れる人気スポットになりました。

ところが、この八幡堀が、2006年2月に、国の重要文化的景観の第1号に選定されたことにより、県は、「これは橋ではなく桟橋で河川法違反。」と、近江八幡市に改善策を求めたそうです。
 
指摘を受けた市は、12月中旬の市議会で木橋撤去を議題にして、翌年1月下旬には撤去する方針を固めたのですが、改めて資料を調査したところ、当時の県との事前協議をした際に、橋を「河川占用とはみなさない」ことで一致していた文書が見つかり、撤去の方針を撤回、保存に転じたそうです。

実はこの八幡堀、豊臣秀吉のおいの秀次が天正13(1585)年に、八幡城を築城した際、外堀の役目を果たすと同時に船を通わす掘割として開削したもので、それが400年後の今日まで残る、とても風情のある歴史的景観です。

たしかに、この堀が作られた当初は、そこに無かった橋ですが、この10年間の間には、国や県の関係者らが景観の視察に来ると、「この橋からの眺めが最も風情がある」と利用してきたこともあって、今では風景の一部となっています。

実は、この橋は私が体験した珍バイトに少しだけ、関係しているのです。それをお話ししましょう。

この近江八幡の八幡堀は、京都の太秦撮影所にも近いこともあって、テレビ時代劇のロケ地としても、お馴染みの場所なのですが、そうした有名な場所に観光客をガイドするアルバイトがあったのです。

このバイトでお客を掴むやり方はとてもユニークです。
まず、いかにも時代劇の撮影を終えたばかりという風を装って、着物姿にカツラや刀を差して、東映の太秦撮影所や映画村周辺の路上を歩きます。

時には、そのままの格好で、お昼時を狙って、レストランや喫茶店に入り、観光客の目に留まるように振舞います。

そのうちに、観光客のグループから記念撮影やサインを求められたりしますので、快く応じながら、仲良くなって、いわゆる業界話に花を咲かせます。

そこで、巧みに「有名俳優が出演した時代劇のロケ地」の話題に水を向け、「是非、そこに言ってみたい!」というリクエストを引き出します。

その時点で、「大部屋俳優の駆け出しなので、経済的に苦しい。」という情に訴え、正式に臨時観光ガイドとして、雇ってもらう交渉をします。

めでたく、交渉がまとまれば、お客さんの自由時間やニーズに合わせて、案内先を決めます。それから、平服に着替えて、ロケ地へと車で向かいます。

このバイトで、一番、多く案内したのは、嵯峨野・大覚寺の大沢の池でした。
そこに行けば、かなりの確率で、実際のロケをしている場合もあり、たまに顔馴染みのスタッフがいたりすれば、すっかり、業界人として信じてもらえます。

そのほか、妙心寺・智恩院といった大寺院や、落柿舎や広沢の池、鳥居本などにも連れて行きましたが、やはり、このあたりは、よほどのマニアでなければ、めったに観光客が訪れるところではないので、いつも喜ばれました。

時には、「木津の流れ橋」や「八幡堀」、「彦根城」などに、日を改めて案内を請うお客さんもいたりして、今考えると本当にのどかな、いいバイトだったと楽しい思い出になっております。

ガジェット通信寄稿しています。1995年設立・出版編集プロダクション法人代表取締役兼カメライターの人。出版メディア業界歴20年。単行本50冊、雑誌/新聞100誌以上の執筆・取材・撮影・編集に携わりました。◆各種ご依頼などはこちらへ◆