都市伝説「ツチノコは宇宙人だった!?」説を検証する

ツチノコは宇宙人だった!?

いきなり、俗な話で恐縮であるが、いわゆる、男の遊びとは、古今東西、”飲む、打つ、買う”の三拍子と相場が決まっていた。

ところが、私のように、超常現象に目が無い者は、やはり、四六時中、そういうネタばかりを追い掛け回し、時には家庭を顧みず、身代を傾けてまで、自分の興味や好奇心の満足を追求してしまう。

そういう、いわば、オタク趣味みたいなものも、現代では立派な男の道楽として認知されるようになっていると思うので、個人的にはこの”飲む、打つ、買う”に加えて、”萌ゆ”という、キーワードも加えても良いのでは?と思ってしまう。

そんな筆者の個人的な見解はさておき、いわゆる超常現象探求といった行為が、通常の男の道楽に匹敵するほどの娯楽であり、生き甲斐であることを今から250年近く前に、堂々と証明してくれた偉大な先人がいることをご紹介したい。

その人の名は、曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)という。
本名は、瀧澤興邦(たきざわ おきくに)といい、元は江戸深川の旗本・松平鍋五郎の屋敷の用人の家の三男だった。

我々は、彼の名を「滝沢馬琴」として親しんでいるが、実はこの名前は明治以降に使われるようになった表記であり、本人の
執筆活動中は、滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は用いていない。

彼の名を世に知らしめたのは、実に28年もの歳月を費やして執筆された読本の『南総里見八犬伝』(全98巻、106冊)であろう。
馬琴は、この大作を執筆中に失明するも、早死にした息子の嫁に文字を習わせ、猛特訓の末に口述筆記をさせたという。

さて、この馬琴であるが、彼の正式な筆名(ペンネーム)の曲亭馬琴を読み替えてみると、「くるわでまこと=廓で真実」と読めるように、すなわち、男女の嘘や駆け引きが常識の遊廓において、まじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味の名前であり、自虐的な名前である。

こういう筆名を堂々と名乗れるのは、そういう場所での遊びを知り尽くした余裕のなせる技であることは言うまでもないが、私が注目したいのは、このように、世俗や世知に通じている当時の大ベストセラー作家が、実は、私の大大大大先輩にあたる、超常現象専門のライターであったという、驚くべき事実についてだ。

ところで、読者諸兄は、『虚舟(うつろぶね)』という言葉を聞いたことがあるであろうか?

これは、現在の茨城県大洗町沖の太平洋に突如現れた伝説の舟のことである。

実は、馬琴は当時のトンデモ学会とも呼ぶべき、奇談や怪談を持ち寄って語り合う、「兎園会(とえんかい)」や「耽奇会(たんきかい)」という文人や好事家の集まりにも正会員として参加し(会員数12人)、そこで収集した怪しい話を集めて、文政八年(1825)には、『兎園小説』(12巻・7冊)として発表している。(馬琴の号は著作堂)

この馬琴編の『兎園小説』は、全33話で構成されるが、第十一集に「虚舟の蛮女」という話がある。

その内容について、少し触れてみよう。

「享和三年(1803)春、二月二十二日の午後に、その事件は起きた。

 (当時、馬琴は36歳であり、この『兎園小説』を書いたのが58歳だったから、22年前の事件として、非常にリアリティを感じたことだろう。)

 その当時、徳川幕府の寄合席であった小笠原越中守という大名がいて、彼の領国(四千石)である常陸の国の「はらやどり」という浜において、はるか沖に舟のようなものが見えた。

 そこで、土地の漁民たちは、たくさんの小舟を漕ぎ出して、その船を浜辺まで引いてきた。
(おそらく、遭難した船を救済するつもりか、浜に打ち寄せた鯨を曳航するのと同じ感覚だったのだろう。)

その舟の形は、まるでお香の入れ物のように感じの円形で、直径は三間(5.4メートル)ほど、上部は硝子障子(ガラス張り)で、継ぎ目はチャン(松脂)で塗り固められてあり、底も丸く、鉄板を筋のように連ねて張り合わせ、岩に衝突しても壊れない頑丈な造りであったという。

その船の中には、記号の様な「蛮字」が多く書かれていた。

上部はガラス張りだから、中がよく見えるので、漁師たちが覗き込むと、異様な風体の女が一人入っていた。

眉と髪が赤く、顔色は桃色、白い付け髪を長く背中に垂らしている。

付け髪は獣毛か撚り糸か、ちょっと見当がつかなかった。
まったく言葉が通じないので、どこから来たのかと問うこともできない。

女は二尺(60センチ)四方の箱を大事そうに抱え、微笑み続けていたその箱を特に大事にしているようで、片時も離さず、人をも近づけない。

そのほか舟の中には、水が四リットルほど入った瓶、敷物二枚、菓子のようなもの、それに肉を練ったらしい食物があった。

これはどういうことだろうと、皆があれこれ話すのを、女はぼんやりと見ているばかりである。

一人の古老が言った。

「これは、蛮国の王女であろう。嫁に行った先で、密夫のいるのが露見したのだ。男のほうは処刑されたが、この女は王女だから殺すのがためらわれて、この虚舟(うつろぶね)に乗せて流し、生死は天に任せたのではないか。

とすると、あの箱の中身は密夫の首かもしれぬ。その昔にも蛮女を乗せた虚舟が、近くの浜辺に漂着したことがあった。
舟の中には、俎板(まないた)のようなものに載せた生々しい人の首があったという。

この言い伝えから考えても、箱の中身はそういった類いだろう。だから、あの女が愛着して肌身離さないのだ」

 さて、この事件を公の役所に届け出ては、後の調べのための雑費の負担がひととおりではない。

一同相談のうえ、このようなものを突き流して隠密裏に処理した先例もあるからと、女をもとのとおりに舟に乗せ、沖に引き出して押し流してしまった。

もし思いやりの心というものがあったら、そんなことはしないのだが、情けのない人々に遭ったのが蛮女の不幸というものだ。

なお、舟の中に書かれた「蛮字」が記録に残っているが、近ごろ浦賀の沖に投錨したイギリス船にも同じものがあったのである。

それでは、かの蛮女はイギリスの者か。もしくはベンガラ、アメリカなどの蛮人の王の娘なのか。

これまた、わからない。当時の好事家が写して伝えたものは、図も説明もおおざっぱで具体的でないのが残念だ。
よく知っている者がいたら尋ねたいところである。 」

馬琴は、こう締めくくっているが、ここで言及している「イギリス船」云々は、恐らく文化十四年(1818)から文政五年(1822)にかけて相次ぎ来航した船舶のことを指しているものと思われる。当時、外国人への関心も相当高まっていたのであろう。

この話が馬琴による創作でない証拠に、同じく兎園会の会員だった国学者で時代考証家でもあった屋代弘賢の『弘賢随筆』にもこの船や「蛮字」の図版があるのだ。

そして、この船と乗組員の女性の話は、江戸の文化人の間でかなり人気を博したらしく、20年後の天保十五年(1844)に出版された随筆集『梅の塵』(梅乃舎主人・著)にも、享和三年三月二十四日の出来事として再録されているほどである。

この「虚舟」がUFOなのか、あるいは脱出カプセルのような救命装置なのか、あるいはこの「蛮女」が宇宙人なのか、単なる外国人の漂流者であったのか、今となってはまったく判らないが、この『兎園小説』の中には、他にもUFOや宇宙人と関係すると思われる話がかなり多く収録されている。

例えば、「第四話 :人のあまくだりしといふ話 」では、京都油小路二条の安井御門跡の家来伊藤内膳の息子の安次郎というものが、文化七年七月二十日の夜、浅草南馬道竹門の近くに 突然、天空から素っ裸で降ってきたという話である。
彼の証言によれば、京都の愛宕山に参詣した折に、怪しい老人について行った結果、なぜか、江戸の街に墜落したという体験を
しているのだ。

この『兎園小説』が、あながち絵空事ではないという証拠となる話もある。
それは、「第二話 :銀河織女に似たる事 」という話に書かれている内容で、一言で言えば、南アメリカにアマゾンという場所があり、そこには女性だけの部族がいて、一年に一度だけ、川を渡って、男性に会いに行く。その川の名前は土地の名前では「リヨデラタラタ」といい、西洋の名前では「シリフルリヒール」という。「シリフル」は銀、「リヒール」は川という意味である。その話が中国に伝わって、「織姫」の七夕伝説になったのでは?と、考証しているのだ。

江戸時代の、しかも、鎖国により、外国人と宇宙人の見分けもつかない馬琴たちが、いわゆる「アマゾネス」の伝説を知っていたというのも驚きであるが、逆に言えば、一見、奇談・怪談の類と思われる話も、それなりの検証を経て、収録されたことがここから読み取れる。

さて、この『兎園小説』の中で、もう一つ、特徴的に目に付く点がある。
それは、どういうわけか、「蛇」に関する話が多いことだ。

例に挙げれば、「第十七話 :蛇化して蛸となる 」という話では、越後の刈羽郡にある石地(新潟県刈羽郡西山町石地)という漁村で、文化九年六月十六日に文四郎という子供が、長さ四.五尺ばかりの蛇を打ち殺そうとしたところ、蛇は海中に逃れようとして、七本足の蛸に変化しようとしたという話を載せている。この土地の漁師たちは。七本足の蛸を獲ることがあっても、これは蛇の変化したものだと言って捨てて食べる事が無いという聞き語りまで載せている。

また、「第二十二話: 猿猴与巨蛇闘」では、宗像郡初の浦(福岡県宗像市)というところの山間で、煙草畑を荒らす猿たちを百姓がこらしめようとしたところ、なんと、猿は長さ二・三丈、太さは一尺五・六寸ばかりの大蛇と戦っていた。これを見て漁師が鳥銃で蛇を撃ち殺すと、大きく膨れていた蛇の腹の中から、猿の子供が二匹出てきたという話である。

さらに、「第二十四話: 蛇祟」では、文字通り、文政八年四月二十七・八日の頃に、柳川候の浅草中屋敷に住む千次郎と程五郎という火消し中間が、交合している蛇を打ち殺したところ、蛇に祟られて狂乱して死んでしまうという話である。

他にも、「第二十八話 :双頭蛇 」も、文字通り、文化十二年の秋九月上旬に、越後魚沼郡六日町の近くの余川村の住人金蔵が頭の二つある蛇を捕らえたという話を載せている。

このように、『兎園小説』には江戸時代のUFOや宇宙人との接触や目撃談が収録されているものと考えれば、そこで多く取り上げられている”蛇”にまつわる話も、一種の宇宙人関連の話だと考えても良いのではないだろうか。

”蛇”に関連するUMA(未確認生物)といえば、その代表は「ツチノコ」であろう。

私は、もし、この「ツチノコ」が江戸時代に目撃され、馬琴らの耳にその存在が語られていれば、必ず、この『兎園小説』に採り上げられていたことだろうと思う。

と同時に、『兎園小説』の内容を事実と判断した場合、やはり、「ツチノコ」は地球外生物=宇宙人である、ということを確信してしまうのである。

写真:写真AC

ガジェット通信寄稿しています。1995年設立・出版編集プロダクション法人代表取締役兼カメライターの人。出版メディア業界歴20年。単行本50冊、雑誌/新聞100誌以上の執筆・取材・撮影・編集に携わりました。◆各種ご依頼などはこちらへ◆