藤子不二雄Aトークショー@上野

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最近は『怪物くん』のテレビ化・映画化も話題のマンガ家・藤子不二雄A氏は、マンガ界の巨匠である。いまも連載を三本も抱えるという現役ぶりで、この3月に最新刊『愛…しりそめし頃に…』第11集(小学館)が発売された。3月31日、その刊行を記念して上野駅にあるブックエキスプレスエキュート上野店にてトークショー・サイン会が開かれたので、行ってきた。

当日は強風のためやや遅れて、藤子不二雄A先生登場(以下の記録は、メモ頼りなので、実際の発言と異なる言い回しや間違いもあるかもしれません。ご了承ください)。司会は、小学館の人が務める。

藤子A「風で電車が止まってて、会場にもし誰もいなかったらどうしようと思ってたんだけど(一同笑)、こんなにたくさんの人が来てくれて、どうもありがとうございます(万雷の拍手)」

A先生は、画業60周年ということで、昨年から今年にかけて記念出版やイベントが相次いでいる。『愛…しりそめし頃に…』は、A先生の自伝的な『まんが道』(中公文庫)の続編的な作品で、現在も継続中。『まんが道』は、1970年から1980年代後半まで連載され、A先生の小学生時代から中学・高校やサラリーマン時代を経て上京、マンガ家たちの梁山泊として知られるトキワ荘で創作に励むまでが描かれる。つづく『愛…しり』は、すでにトキワ荘にいる時点からスタートしている。

藤子A「『まんが道』のスタートから40年ですよ。何十年トキワ荘のことを描いてるんです?と言われるんですが(一同笑)、ある意味でぼくのライフワークですね。トキワ荘を出たら終わりのつもりです。出るときにぼくらの青春は終わるわけで、そこ(を描く)までぼくの命が保つかどうか」

司会「同じことをもう10年くらい前から言われてますが…(一同笑)」

◎デビューの頃

A先生とコンビの藤子・F・不二雄先生のデビュー作は、1951年12月から連載された『天使の玉ちゃん』ということになっている。当時、毎日小学生新聞で手塚治虫『マアチャンの日記帳』を愛読していたふたりは、『マアチャン』の終了後に自作の4コママンガ『玉ちゃん』を投稿したのだった。

藤子A「手塚先生のマンガが終わって、勝手に次はぼくらだと思って送ったんです。4コマを8枚かな? (ペンネームでなく)本名で描いて送った。何の反応もなかったんだけど、ある日稿料が三千円送られてきてね。当時の三千円は、えらいお金ですよ。もう毎日小学生新聞をとるのやめてたんだけど(一同笑)、慌てて買いに行ったら新連載って載ってた。その後新しいのを送ったんだけどまた何の連絡もなく没で(一同笑)、それから60年です」

◎上野の想い出

藤子A「(故郷の)高岡から来ると必ず上野駅。昭和29年に、初めて来ました。もう高校卒業してたんだけど、まだ学生服を着てた。上野公園の西郷さんの銅像の前で怪しいおじさんに写真撮ってやるよって言われて、いまなら信用しないんだけど当時は純真だったから(一同笑)、カメラを渡したらそれを構えたおじさんがするするする~と後ろへ下がっていったと思ったら、走って逃げ出した(一同笑)。追っかけていって、そこにいた人がつかまえてくれたんだけど、あっ荷物を置いたままだったと慌てて戻ったら、荷物は大丈夫だったというのが強烈な想い出ですね」

『まんが道』だと、大都会で夢破れた敗残の老人を見た!…というようなシリアスな調子で描かれていたが、直接にお聞きすると愉快な漫談のようであった。

藤子A「上野動物園で坂本(三郎)氏に会ったことも。ぼくらと新漫画党っていうグループを作ったんだけど、途中で漫画を止めてね。動物園でスケッチしてるところで再会した。彼はストイックだったからね、ストイックすぎると新漫画党に入れない。ぼくもほんとはストイックなんだけど、周りに合わせるのが上手いのよ(一同笑)」

◎石ノ森章太郎のお姉さん

トキワ荘の住人であったマンガ家仲間の石ノ森(石森)章太郎は、早世した姉を慕っていて、石ノ森のエッセイ『トキワ荘の青春 ぼくの漫画修行時代』(講談社文庫)にも、その姉のことが書かれている。『愛…しり』にも姉上は登場する。

藤子A「ある日、石森くんのお姉さんがトキワ荘に来るって聞いて、まあ石森くんはジャガイモみたいな顔だから(一同笑)、あんまり期待してなかったんだけど、藤本(藤子・F・不二雄)が台所へ行けって言う。行ってみたら、お下げ髪の清楚な女性がお湯を沸かしてた。すごい美人だとみんなで話してたら、石森くんが姉だよって彼女を連れて挨拶に来て、まあ似ても似つかない(一同笑)」

藤子A「彼女はよくぼくの部屋に来て、本を借りていった。弟のことを心配していたんで、彼は大丈夫ですよという話をしました。でも結核で、2か月後に帰らなきゃいけないんで、そのときはこの上野駅に見送りに来ましたよ。お別れのとき、戌年のぼくに犬のぬいぐるみをくれたんです」

司会「『愛…しり』に、みんなで行った旅行先でお姉さんに手を握られる件りがありましたが?…」

藤子A「ああ、あれはね、ちょっと他の女性との話を混ぜて作ったの(一同爆笑)」

『愛…しり』第2集のクライマックス?とも思える印象的なシーンは、フィクションだったらしい。自伝的な『愛…しり』だが、創作部分も入っている。最近の10〜11集では、『怪物くん』の発表などかなり後年の出来事も、トキワ荘時代に起こったことになっている(!)。

◎『負けてたまるか 松平康隆』

『愛…しり』には、毎回付録として過去のマンガや、A先生が保存していた手紙などが収録されている。今回の第11集では、1972年に発表された実録ものの短編『負けてたまるか 松平康隆』が読める。A先生の代表作のひとつ『少年時代』(中央公論社)を連想するような、硬質な絵のタッチ。

藤子A「これはマネージャーが見つけてきてくれた。どこに載ったかは全然覚えてない(笑)。あ、小説現代? この頃はいろいろ頼まれては、いろいろなところに描いてたからね。松平さんは(『愛…しり』に)載せるのを許可してくれて、その直後に亡くなられたんで会えなかったんですよ」

松平康隆氏は、昨2011年12月31日に逝去。図らずも追悼の形になったようである。

藤子A「ドキュメンタリーに興味があって、『毛沢東伝』(実業之日本社)も描いたりね。マンガ家は一度ヒットすると、だいたいずっと同じものを描く。それでも30代くらいから子どもマンガ(を描くのが)がつらくなってきて、ドキュメンタリーとか実験的なものを描いた。それで『笑ウせぇるすまん』に行き着くんだけど、その話するとまた1時間くらいかかるから(一同笑)」

ヒット作のひとつである『笑ウせぇるすまん』は、A先生の中で、子ども向けでない路線の集大成的な位置づけなのかもしれない。

◎最近のマンガ

藤子A「いまのマンガは、(題材が)広範囲だし個性が強いので、なかなかひとことで言えない。ぼくらの時代に比べて、大変な進化をしたと思う」

藤子A「そういえば、最近新人賞のパーティへ行ったけど、300人くらい人がいるのに、5、6人くらいしか知り合いがいない。審査員のマンガ家5人も、ひとりも知らない(一同笑)。5人とも四十いくつのベテランの人なんだけどね。最近読んだ漫画もわけがわからない(一同笑)。だから新人賞の審査は全部降りたんです。老人には解釈できない。ぼくは嬉しいですよ、マンガのバリエーションが広がったってことでしょう。こういう老人にはわからないほうがいい」

司会「ああ、たしかに」

藤子A「たしかにって何だ(一同爆笑)」

A先生は、最初から最後まで笑いを取っておられた。先生はサインの際もひとりひとりに「こんにちは!」と声をかけ、宛名も書いて握手するという、巨匠とは思えない優しさに感嘆。堪能いたしました。

映画、舞台、書籍などが得意分野です。 どうぞよろしくお願いいたします。