男らしさを知りました

  by 日なた  Tags :  


DVDレコーダーに録りためた番組がいっぱいになってきた。その中で「これは消しちゃいけない」と保護しているうちのひとつが昨年6月に放映されたNHK「きょうの料理」だ。15日放映。これは漫画家うえやまとちさんが出ている回なのだ。

もう十年以上前になるが、知人が「クッキングパパ」をそろえていて、そこで読んだのが最初だったと思う。知人の家にあるものを読みまくり、その後も新刊が出るたびに読ませてもらった。
その数年、あまり精神状態がいいとはいえない時期だったのだが、どんなときも読めるというか、なんだか「読みたい」と思う漫画だった。その家に行くとなぜか手にとって読んでしまう。
なんだか「安心して読める漫画」だった。どんなときもやるせなかったりむなしい気持ちになったりしない。安心するというか「安心したくて」読んでいた気がする。

とはいっても、それからずっと「クッキングパパ」やうえやまさんを意識していたとか追いかけていたというわけではなく、その回の「きょうの料理」も偶然知って録画してみただけである。「あ、クッキングパパの…」と。

当日、録画しながらなんとなく番組を見ていた。単行本に毎回出ていた写真で顔も知っていたのだが、まずうえやまさんが画面に出たとき、「…なんか素敵になってる……」と思った。男性にはなぜ年をとるほど外見がかっこよくなっていく人が多くいるのだろう。シワがあっても白髪が見えても、お腹が出ていたって、そんなの関係なく全体がとても素敵なのだ。
うえやまさんの場合は私の個人的な趣味も大きいと思うが、それを差し引いてもぐんとかっこよくなっている。…しかもセクシーだ。色気まで倍増だ。
「素敵…」と思いながら見ていると、料理紹介とともに「おにぎらず」の話になった。昨年ブームになった、あれである。
本屋でいくつかレシピ本を見かけていたし、ブームなのは知っていた。しかし「クッキングパパ」に登場していたのはまったく知らなかった。私が読んだものにはたぶん登場していなかったと思う…記憶になかった。
なので番組ではじめて「二十年以上前にクッキングパパから出た料理」だというのを知ったのである。

アナウンサーがそのことを話し、テレビの前の私が「…へぇ」と思う。そのとき、うえやまさんがそれまでの会話とまったく同じトーンのまま「20年前くらいにね」とヒョイっと答えた。そして奥さんが考えたもので名前は自分がつけたのだと続けた。うえやまさんは常に一定の静かな、小さめの声で話す。いつもどこかひょうひょうとしている。
愛想がいいわけでもない。静かで、どっしりしている。
私はもう衝撃で、なにかもう「打たれた」ように感動した。
なんて、なんてかっこいいんだろう。

私がうえやまさんだったら、他の人がおにぎらずレシピ本を出すたびに「…チッ」とイライラし、そのたびにどこかで何とかして「最初に考えて出したの私ですから」とアピールしたくて、でも自分で言うのもあれだから誰か言ってくれないかな…とか、もう頭の中でグルグルしていたに違いない(小さい…)。
なんて器の大きさだろう、男らしいってこういうことをいうんだ。まさか「きょうの料理」でそれを教えられるとは。
その日からこの回の「きょうの料理」はうちのDVDレコーダーで保護され、中に大事におさまっている。

そして今年3月、またNHKでうえやまさんを見ることができた。対談番組で、内容もとてもおもしろく、見応えがあった。
対談相手はサンドウィッチマンのふたり。彼らも私の中の「素敵な男性ランキング」で安定して上位にいる。いい男三人がずっと画面に出ずっぱり。眼福であった。

うえやまさんは変わらず、穏やかに静かなトーンを崩さずに話していた。私はそれを見ていて、そしてその後も録画したものを繰り返し見て、あらためて考えた。
うえやまさんはとても静かな人だ。常に優しい表情を見せているが、相手に向かって言葉の代わりにヘラヘラした顔を見せる瞬間がない人だということに気がついた。要するに愛想笑いがない、もしくは少ない。
優しそうで、実際優しい人なのだろうなと思うがそれだけじゃない、なんだかとてもシビアなのものを佇まいから感じるのだ。
たとえば、うえやまさんは「その場でいい人に思われたくて」他人の中や問題に入っていかない気がする。人当たりはやわらかいが他人との間にはっきりと線を引いているのがヒシヒシと肌に伝わってくる気がしたのだ。
ということは、「優しくしたのに」「助けてあげたのに」という執着が少ないということだ。
ことごとく私とは正反対である(あぁ…)。

「クッキングパパ」はとにかく安心して読める漫画だ。どんな精神状態でもなぜか「安心して」ページをめくることができた。
でもそれは「癒される」とかそういうことではなかった気がする。少なくとも私にとってはそうではなかった。過去にさかのぼって考えていて、そういうことに思い当たった。

「クッキングパパ」はほのぼのした漫画だというイメージを持っている人が多いと思う。実際設定やストーリーを考えたら、そのイメージが普通だとは思う。
しかもタイトルが「クッキングパパ」である。もうほのぼの決定で当たり前だ。

しかし、内容を思い返すと、違うのである。とてもシビアなのだ。
既婚者に片想いをしていた魅力的な若い女性が、想いを寄せてくれた男性(とてもまっすぐな気持ちのいい若者)と結婚する、という展開があった。それが「恋愛と結婚は別」とか「バーンと劇的に目が覚めた」とか何か理由づけするのではなく、ただそのまま「なんの理由も言い訳も正論もなく」描かれていく。余計な説明がないのだ。
人の気持ちが揺らぐことも理由がつかないことも、ただ人が生きている毎日を、正論で裁かずに描いているのだ。うえやまさんは三十年間ずっと。
とてもシビアに。だからこそつらい時期に読んで私は救われていたのだと思う。

どんな素っとん狂な人や出来事に出会っても穏やかにフラットに接し、淡々とそれらを受け止めながら、(はた目には)特に大事件も起こらない日常を「笑顔で」落ち着いて味わって生きている主人公の荒岩さんが、当時の私の逃げ場所になっていたのだと思う。
そしてそれは作者であるうえやまさんの何か「揺らがないもの」でもあったのだなぁと思う。
二十代でそんな「ほんとうの男らしさ」に気づける自分であれば!…しかしペースは遅くても人は成長する、やっとわかってきただけ自分よかったじゃん、と前向きに考えてみる。素敵な男性はちゃんといるのだ。身近にも、たくさんじゃなくても必ずいる。

そんなこんなをこうしてつづっていると、「クッキングパパ」手もとに置いときたいなぁとあらためて思った。でも136巻…。
でも「こち亀」よりまだ少ないからまだよかった、そうだそれよりはよかった…と、また無理やり前向きに考えてみる。月1冊だと十年以上。…もうちょっとペースあげて買います。

SNSは一切やっておらず、インターネット関連知識はまったく「ない」ので、少々場違いなところに出ているのは承知しているのですが…いろいろ書いていきます。