映画『グランドフィナーレ』

  by 日なた  Tags :  

先週、機会があって映画『グランドフィナーレ』を見た。来月4月に公開される作品だそうだが、私はこの作品をまったく知らなかった。タイトルを耳にしたこともなかったはずだ。予告編を前日にネットで見たのだが、「どうして知らなかったのだろう」と、ますます首をひねった。出ている俳優陣からして、何かしらで目にしたり耳にしたりはしていそうな作品なのに、全然まったく!知らなかったのだ。
私は映画の予告編が好きだ。素晴らしい作品の予告編は一本の作品と言えるくらいにまた素晴らしい。いてもたってもいられなくなるような興奮、高揚感でいっぱいになる。本編があまりいけてない場合、本編より予告が素晴らしかったりもする。
この『グランドフィナーレ』の予告編はタイトル、俳優陣とぴったり合った重厚なものだった。ソラそーなるだろうなーという、そのまんま「安定」な印象だ。老いを迎えた男性(演じるのは名優)ふたりが人生を振り返る、見つめ直す。どういう展開かはわからないが女性(主人公の娘)が絡むようだ。しかもそれがレイチェル・ワイズだ。これが感動作でないわけがない。しかも王道の感動作だ。こういうの好き。私きっと泣く。映画用のハンカチも忘れずに準備しよう。
自分自身が中年になって、ここ数年いろいろな問題が次から次へと間を置かずに現れている。現実がハード過ぎるのに映画でまできついのは無理、「そんな体力ないよ」というのが現在の自分である。久びさに気持ち良く泣けそうなので楽しみだった。

この作品は上映時間が長めだ。
もう先に言っておくと、私は始まって1時間以上きつかった。
始まってすぐに「これは…私の苦手な世界では…」と気づいた。私が好きというか好んで見る「やぁ!」「どうしよう!」「愛だわ!」「恋だわ」「困った!」とかわかりやすい世界ではないなとすぐにわかった。抽象的というか観念的というか。
ストーリーはとてもシンプルで、世界的なイギリス人音楽家がアルプスのホテルで静養している。高級なホテルで、利用しているのも彼と同じ著名人など富裕層だ。主にその滞在中の何日かを追ったもので、音楽家がイギリス女王からの演奏依頼、ひいては自分の人生と向き合う-というものだ。書いていて「シンプルだなー」と改めて思った。主要登場人物も彼の親友、娘、ホテルの人間と宿泊客だから、全体がとてもシンプルなのだ。
なのになんでこんな難解そうな、日常では見ない世界に足を踏み入れたような心もとない感が自分の中に満タンになるのか。さっぱりわからなかったが、とにかく心もとないし疲れまで感じてきたし…と変な疲労困憊感でいっぱいになってきた。一瞬「帰りたいな」と思ったくらいである。

それが。1時間くらい過ぎて突然、ハッとするくらいにはっきりと映画の中に入った感覚があった。まさに「入った」というのがぴったりで、すんなりとその世界に安心して中で自分も共存しているように感じた。
ストーリー展開に具体的に触れるようなことは書けないけれど、そのシーン自体はとても何気ない一瞬だった。思わず時計を見てしまったくらいだ。映画が定刻通りに始まったとすれば1時間16分(←細かい)後だった。
なので、もしこの作品を「おじいさんが人生を見つめ直すハートフルな」(←ちょっと違う)ハリウッド映画(←完全に違う)と勘違いして見に行った人がいたとしたら、とにかく見続けてほしい、と切に願う。
最後まで見たいま、全編を通して無駄がなかったのだとわかる。それを味わってほしいなぁと思う。

私は昨年、がんになって手術を受けたのだが、ちょうど年齢的にも自分の状況にも考えるところがある時期で、病気がどうのこうというより、精神面のほうが限界に近かったと思う。
身寄りがないのでひとりで入院し、退院して自宅に戻った。翌日、ひとりの部屋で目が覚めたとき、はっきりと「死にたい」と思った。手術して命が助かったのに何なんだお前はと思われるだろうが、自分の息づかいしかきこえない部屋で、はっきりそう思ったのだ。
死、そして中年と言われる年齢になった自分を強く意識したことで気づいたことのひとつに「自分は死んでも無条件に残念がられる年齢ではなくなってきている」というのがある。
小さな子どもが亡くなると世間は「なんてことだ」とその子を知らなくても無条件に惜しみ、気の毒がる。しかしそれが中高年だと、年齢が上にあがるにつれて無条件な同情は少なくなっていくのだ。
私は即座に「なんてことだ」「なんて惜しい」と思われる存在ではなくなってきているのだなぁとぼんやり思った。その思いはいまでも自分のなかに小さく芯のように残り、事あるごとにわきあがってくる。

『グランドフィナーレ』を見て、私が感じたのは老いが抗うことのできないことで、そのうえで生きている人間が確かに「いま生きている」のだという当たり前のことだった。
「いまがいちばん幸せ」と言う老人でも「若いころに戻せるけどどうします?」ときかれたら、多分ほとんど全員が「戻る」と答えるだろう。しかし現実にはありえないし、死は絶対に避けられない。それでも生きている以上、今日を「ひとりの人」として生きるしかない。

私はサッカーのことははまったくわからないのだけど、たぶん私でも知っているあのマラドーナがモデルだと思う、引退したスポーツ選手が登場する。私がもっとも胸がつまったのは、すべてその男性にまつわるシーンだった。
見た人それぞれで、胸を突かれる、何かをつかまれる登場人物がいるのじゃないかな、と思う。私がもう少し年をとっていたら、もっと主人公に目が行ったのかもしれない。

登場人物といえば、主人公の親友役がハーヴェイ・カイテルだったのだが、彼が死を意識するような老人役だったことに自分でも意外なくらいショックを受けた。
なんだかいつまでも時どき映画の中で見ることがある人だと勝手に錯覚していた。私が生まれる前から映画に出ていたのだから当たり前の年齢なのに。

そしてもうひとつ。
映画全編に通して流れているエロがすごかった。
裸がたくさん出てきて、しかもきれいにも撮っていなくて妙にリアルなのだがそういうことではなく、普通のシーンも含めて全般が。
ずっとエロを感じた。人間は年をとるほど実は「エロ」が増していくのだろうか、と考えてしまったくらいだ。
あのカサカサした皮膚の下は、ものすごく生々しい肉の中にエロがたぎっているのかもしれない。

「前向きになった」とも「ストーリーに音楽に酔いしれた」とも言えないけれど、なぜだかはわからないけど、「見てよかった」とははっきり言える作品だった。
そして(個人的にはいちばん重要なポイント)、「後味が悪くなかった」。
十年後、まさに中高年真っ只中にもう一度見てみたい。その私はどんな感想を書くだろうか。

SNSは一切やっておらず、インターネット関連知識はまったく「ない」ので、少々場違いなところに出ているのは承知しているのですが…いろいろ書いていきます。