未来とは他者なのだ

  by 東雲  Tags :  

初日の出なるものを、生まれて初めて見た気がします。それ故、このように写真を撮ったのも初めてであるわけですが、この初めて尽くしの新年になにを思うかといえば、案外、あたらしいような気分にはならないのだな、ということです。
これは、考えてみれば当たり前の話で、時間なんてものは、我々人間が規定しているにすぎません。つまるところ、1ヶ月だろうが、1年だろうが、我々が勝手に分節化しているだけであって、それ以上でも以下でもないのです。
ですから、それをそうと感じられるようになった、すなわち正月だからといってなにかが独りでに新しくなるというわけではないのだと感じられるようになったのは、成長と表現することもできるのかもしれません。
とはいえ、そうした分節化がなければなかなかに精神が参ってしまうであろうことも事実ですから、区切るのが悪い、などと言うつもりも毛頭ないのですが。

そんなこんなで初体験的な話をしてきたわけですが、じつを申しまして、連載.jpに投稿するのも初めてだったりいたします(なにぶん、登録承認のメールを本日頂戴したものでして)。正直なところ、だからどうということでもないのですが、何卒よろしくお願い申し上げます、ということは言わねばならぬ気がしてなりません。
なんてことを言いつつも、応募の際、自己アピールの欄に

いわゆる内的必然性があって文章を書いているタイプの人間です。つい最近までは個人宛のメールでエッセイのようなものを書いていたのですが(相手に移り変わりはありましたが)、油断するとすぐに文章量が増え1日8000字、ひどいときには1通で2万字を超えてしまうため、読む方の負担も考え、別の場所で記事を書くという形にできないだろうか、と考えた次第にございます。

などと書いた盆暗です。が、どうかご容赦を。
因みに、この文体のせいで、初老の男性だと思われた(言われた)こともありますが、まだ24年くらいしか生きたことのない若造ですので、誤解なきよう。

そんなことはともかくですよ。いちおう、形式的にしろなんにしろ、年が明け、また新たな1年がはじまりつつあるわけです。近頃感じるところなのですけれども、先のことは誰にもわかりません。僕だって、明日にはもうこの世にはいないかもしれないし、1ヶ月後にはどういうわけかフランスにでもいるかもしれない(今のところ、そういう予定はありませんが)。
「未来とは他者なのだ」というのはレヴィナスの言葉ですが(『時間と他者』)、僕如きがその意味を正確に捉えられているかはともかく(そもそもレヴィナスはうっすら聞きかじったことがあるだけで、読んだことがありません)、未来というものが、我々には捉えられないもので、むしろ、不意に襲いかかる未来が我々を捉えるのだという発想には、なかなか考えさせられるものがあります。

この先また、どういった未来が自分を捉えることになるのかはわかりません。いや、未来にどういったもこういったもないのかもしれませんが。ただ、厳密な意味において区切られることのない時の流れも然ることながら、不意に襲いかかるそれに対しても自覚的でありたいなぁ、とは思うわけにございます。
むろん、運を味方につけられるかは、それこそ誰にもわかりません。けれども、実際のところ、可能性や未知に対して開いていかなければ、事実は小説よりも奇なるものにはならない気がするのです。すべてが予定調和なんて、面白くないでしょう。他者には裏切られていたほうが、きっとずっと楽しいのだろうと思うのです。

(画像:筆者撮影)

25年くらいしか生きたことのない若造です。

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