【育児】「もうやだ。」「うざい。」「離れたい。」はいくら思ってもいい。私が虐待の一線を越えなかった理由。

  by yappi  Tags :  

ようやく息子が1歳を過ぎ、がむしゃらに駆け抜けたママ1年目が終わった。
私は息子を出産するまで、都内の保育園で働いていた保育士。1年前は、普通のお母さん達よりは、こどもに対する知識もあれば関わった経験もあるから育児もきっと大丈夫、と自負していた。「あぁ、保育園にいる間だけ関わっている保育士と、四六時中こどもと一緒の母親ってこんなにも違うのか…。」と今は思う。職業として育児に携わるのと、親として育児をするのはまったく別物だと痛感する。

保育士の私が、なぜ育児はつらいと思ったのか

私は保育士をしていた。こどもは大好きだ。でも、育児はつらい、と思った。
まず、なにより休みがない。どんなに体調が悪くても、寝不足でも、遊びに行きたくても、育児に有給休暇なんてない。休暇を申請しても、旦那や祖父母や社会的サービス事業主の承諾を得なくてならず、ハードルが高い。1日のうちの自由時間もないに等しい。保育園の労働条件も厳しいが、それ以上にとんでもないブラック会社だと思った。
さらに、社会との繋がりが薄れていく閉塞感もとてつもない。平日の昼間に、一体誰が育児の共感をしてくれるのか。保育士になる過程で習った“核家族化が進み孤育てが進んでいる”とはまさにこのことかと、身をもって学んだ。

何度思ったことだろう?こどもに対して「もうやだ。」「うざい。」「離れたい。」

慢性的な寝不足で、10分でいいからとにかく寝かせてほしいと思う時に、こどもが延々と泣き続けている時。SNSで充実した生活を投稿している同世代の友人と、育児しかない自分の生活を比較して落ち込んだ時。一生懸命作った離乳食を、こどもに床にぶちまけられた時。「もうやだ。」「うざい。」「離れたい。」こどもが好きで保育士をしていた私でさえ、何度となく心に湧いてきて、止められなかった。

自分の負の感情を受け止めることから

一歩間違えたら、私は自分の息子を殴っていたかもしれない。ご飯を与えず、放置していたかもしれない。でも、その一線は越えることはなかったし、この先も越えることはないだろうと自信を持って言える。なぜならば、この1年間の葛藤の中で自分の負の感情を受け止めることを学んだからだ。「もうやだ。」「うざい。」「離れたい。」そう思っている自分をちゃんと認めてあげることが大切なんだと学んだからだ。

「こどもと離れたい。」と思うと同時に「愛するわが子と離れたいと思っているなんて母親失格だ。」と思って落ち込んではいないだろうか?そう思うと、負の感情から抜け出せない。どんなに愛していても負の感情を抱くときはある、今はただ、その時なんだと思うと楽になる。「私、今いらいらしているな。」とどこか自分を客観的に見れたならば、虐待の一線を越える前に解決策を探ることが出来る。例えば「しょうがない、10分だけこども泣かせたままでも自分を回復させよう。」「今週末はこどもを預けて行きたかったお店に行こう。」と、気持ちを切り替えることが出来る。

湧きあがってくる負の感情は、人間だれしもあるもの。特に現代の育児はまだまだ母親の負担が大きい。幸せをかみしめる一瞬だってもちろんあるが、それと同じくらい葛藤やストレスを感じていて当然だ。私もまだまだそんな日々を繰り返している新米ママではあるが、同胞である育児中のお母さん達に伝えたい。「もうやだ。」「うざい。」「離れたい。」はいくら思ってもいい、その気持ち受け止めたら楽になるよ、と。

山梨県出身。私大総合政策学部に在学中に保育士免許取得、卒業後3年間認可保育園にて働く。現在1児の母。得意分野は、海外旅行・保育・教育・育児など。