清太の胸のうち

  by はむ  Tags :  

野坂昭如氏、死去。享年85—

「衝撃ハプニング集」のような番組で見た、大島渚との殴り合いは、子供ながらに私もビビった憶えがある。本気(ガチ)だし、完全に目がいってしまっていたし‥。あの映像だけだとよく判らなかったけれども、野坂氏が酩酊状態にあったらしい。折しも忘年会シーズン真っ盛り。深酒は怖いと、あらためて思うきょうこの頃だ。

作家でもある氏の代表作に『火垂るの墓』 がある。戦後70年の今年8月にも、日テレでテレビ放送されていた。この作品を見かけるたび、私は“想像”をする。当然自分は戦後生まれだから想像の域でしかないのだが、もし清太の立場であったなら‥どうしていただろうと。

ターニングポイントは、西宮の小母さん

あの場所に留まるか、出るのか。‥さすがに「疫病神」とまで云われてしまっては、私も彼のように家を出ていった可能性が高い。あんな家に居続けても精神衛生上、毒だ。生きた心地もしない。あまり好きな言葉ではないが、それこそあの鬼のような小母さんに対して「殺意が芽生えた」そんな視聴者も大勢いたことだろう。

しかし、以前母親にその旨を伝えると「仕方なかったと思う」そういって小母さんに一定の理解は示していた。‥無論、戦時中というのもあるが、女の‥いや、母の視点からみると、あれらのシーンのとらえ方もまた違ったものになってくるのかも知れない。

仮に家を出るのが清太ひとりだけであったなら、そこまでの悲劇にはならなかった。終戦直後、実際そうした子たちがいたように、14歳の彼もなんとか生き抜いていくことが、あるいは出来たであろうから。ただ、結果的に彼は節子を“巻き添え”にしてしまう形となる。問題はそこだ。

‥もっとも清太もそれは分かっていて、原作では「いっそ節子さえいなかったら」と、苦しい胸の内を明かしている。かといって幼い妹を小母さんのところに残していく選択肢も‥あの時点では、彼になかっただろう。

かわいい節子のことを考えたら家を出るのは明らかに無謀な行為であったし、節子を置いて出ていくことさえも出来なかった、八方塞がりな清太の心情を「想像」すると、何ともやりきれない気持ちに毎度させられる。

『火垂るの墓』で描かれていたものが一部“実体験”に基づいていたという、野坂氏の冥福を祈りたい。

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