~画像は写真素材足成のフリー素材より~
今日から連載.jpでの執筆を開始する。ここでのブログの骨子はいかなる内容の記事も短編小説的もしくは詩的な表現とする事である。
生まれるにあたり、親はもちろんの事、第二の親(飼い主)も選べない、選択する事を許されない状況から始まる運任せの命である。
我ら人間も同じだと嘆く、すでに誕生の時点でハンデがある。障害をもって生まれる場合さえある。生の価値の平等性とは何であろうか。
そこで私は自己を慰め、納得させるために2つの理屈をつける事にした。
1つは幸福の感度の差異やその幅であり、もう1つはいわゆるコンプレックスのプラス転換による主に精神的な成長力の増大である。
生まれもって裕福であればおのずと幸福の感度は鈍くなるだろう。人間、現況の生活水準を当たり前のものと見なすようになるからだ。
その幅においても狭くなる傾向にあるのではなかろうか。結果、少しの生活環境の変化では心は動かなくなる。
無論、貧者であれば逆に作用するだろう。感情の揺れ幅は大きくなる傾向にあるのではないか。
コンプレックスにおいては、その捉え方で影響は異なる。背負った状況を恨むか、打開もしくは己を向上させる力とするかだ。
卑屈にならない限り嘆きの壁を越える力を得る動機にする事ができる。一生は決して変化を望むに短くは無いのだから・・・。
じっと空を仰ぎ見る。秋の空は際限なく青い、ただゝ広い、ああなぜ生き物には様々な違いが存在するのだろうか。
今日も、もし悲しげな遠吠えが聞こえたら、きっと仲間がそう思っているに違いない。