由紀さおりは海外でなぜ売れた?

  by あらい  Tags :  

由紀さおりの海外での成功に関して書かれた記事は他にも色々出ていますが、一応、末端ながら音楽に関わる立場として、思う所を書いてみたいと思います。

私は幼少の頃、父の転勤の為、白人英語圏の国で生活をした経験があります。実は当時、母が現地の白人にモテモテでした。その理由がどうも「日本人のお能のお面の女性の顔」ということだったのです。確かに私の母の顔は、日本人の私が見ても、お能の面のような顔をしています。外国人が見たら、尚更だと思います。そんなことで、私の母は現地の外国人とスムースに交流ができるきっかけが作れたと、後に語っています。母に事例と比べるのはアレですけど、由紀さおりも、おそらくアメリカ人にとって、知っているお能のお面の顔と瓜二つに見えていると思います。それだけでも由紀さおりは日本の文化を認識し易い“記号”を持っている、ということが言えると思うのです。由紀さおりの顔が、白人にとって日本の文化として認識し易い記号に入る顔であったことは、とても重要なことだったのではないでしょうか。

我々も海外の異質な文化を受け入れようとする時、例えばそれがアメリカ文化なら“コーラ、スケボー、バスケ、ホットドッグ”のような記号から認識していくように、海外の人達も日本の文化に対して簡単に認識できる記号を、無意識に求めるのですが、由紀さおりという歌手は、それがビジュアルの面から非常にやり易かった部分があったと思われるのです。

記号性として認識して貰う部分がクリアできれば、そこで初めてその中身になります。由紀さおりの音楽は昭和の歌謡曲なのですが、何よりそれをアメリカのインディーズで活動するジャズバンドが既に自発的にカバーをしてくれていた、という所に“運”があったように思います。日本の昭和の歌謡曲をそのままアメリカに持ち込んでも、どうしても納豆が外国人にそのままでは受け入れて貰えないような壁と戦わねばならないのですが、由紀さおりの歌が音楽に対する知識と広い理解のある才能あるアメリカ人のフィルターを通して、既にそれがアメリカ人のテイストに合うように商品がローカライズできる道筋が用意されていた、という部分は大きかったでしょう。

ただし、それを一概に“運”ということだけで片付けてしまうことのできない音楽的な要素が、実は由紀さおりの歌にはあると思います。由紀さおりの歌には、解り易い形で“こぶし”的な要素が、あまり表現されていないのです。昭和の時代に生きた日本人にとって、それを「日本人の心」と認識する記号として機能していた“こぶし”の要素を、あの昭和の歌謡シーンの中で、由紀さおりはそれを“そのまま表現していく”ことを、ある意味、拒んだ歌手なのです。それが逆に由紀さおりの日本での大衆化を妨げていた部分もあった訳ですが、アメリカ文化の中ではそれが長所として働いた、ということは言えると思います。“こぶし”的な表現は、確かに白人文化圏の音楽との相性の悪い側面を持っていると言えると思います。

それは70年代の日本のロック事情を思い出してもらうと解り易いと思うのですが、日本語の歌としてスタンダードな歌い方とロックのテイストがあまりにも異質過ぎ、日本中のバンドマンがロックという音楽のローカライズに苦労、若しくは失敗しまくっていたのが、70年代日本語ロックの黎明期(れいめいき)の現実でした。『はっぴいえんど』が、そこに風穴を開けたバンドとして知られていますが、それは大論争になる程、異質な音楽として当時の日本では受け止められたようです。結果として『はっぴいえんど』の音楽からは、その“こぶし”的な要素が排除されていた訳ですが、そうすることで、日本語の歌は初めてロックとの接点を見出すことができるようになっていったのも、事実でしょう。

アメリカの人が日本の歌謡曲をカバーする作業として考えてみても、“こぶし”の要素があることで、それがアメリカ人にとって接点の見つけ難い音楽になってしまうことは、容易に想像ができると思うのです。いくら“こぶし”が日本人の心です、を主張してみた所で、それだけではお互いの接点が見つけにくいのが、異文化交流というものです。由紀さおりの歌は、アメリカ人にとっても、自分達の文化との接点を見つけ易い歌だった、ということが、先の“運”を引き寄せたと私は思っています。

結局、日本人の心として認識される記号性を持たずとも(記号性を持ってしまえば、プロとして実力が並でも仕事を頼まれるラインの中に、一応入れる)、日本の伝統的な歌謡曲ビジネスの中でやってこれた由紀さおりの才能と工夫、日々の鍛錬、等のレベルの高さが全てだった、と言える話しになっていくと思います。日本の歌謡界の中でプロとして認識して貰う為の記号性は私の歌にはいらない、という判断をするに至った、彼女の自身のオリジナリティに対する信念と誇りなくしてこのドラマは生まれなかったという所に、由紀さおりの海外での成功の根本があるのです。「アンタはこうしたらもっと売れる」のような安易な業界人の声に叩かれ続けながらも、それでも自身の才能を裏切る事なく、自身の正義観を不器用に表現し続けた歌い手にこんな結末(まだ終わった訳じゃないが)が用意されているなんて、音楽もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思ってしまうのでした。

もちろん、由紀さおりが海外で成功した要因は、ここに全てを書ききれるようなものはないに決まっているのですが、とりあえず誰でも真似ができてお手軽に満足はできますけど、成果を伴う例が少ない“要領”の切り売りのような、所謂ライターの日銭稼ぎのようなことで由紀さおりは世界の扉をこじ開けた訳じゃない、ということだけは、ここに書いておきたいと思います。

東京の音楽業界の隅っこで仕事をしてきました(インディーズアーティストのもろもろ、ゲーム、ラジオの音楽制作、専門学校講師等)。2014年から某楽器メーカー勤務。

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