苦難の先にある、人間ドラマ…

  by はむ  Tags :  

今年2015年は戦後70年であると同時に、色んな節目の年でもある。阪神大震災から20年、御巣鷹山日航ジャンボ機墜落事故から30年‥‥。末尾「5」がつく年を迎えると、いつも人の生死について考えさせられる。

しかし人間の躯は案外モロいが、メンタルは他の動物より強い生き物だ。数多の苦難を乗り越えた先には「ドラマ」がある。私でいえば野球が趣味だからその目線でみてみると、震災があった年にオリックスが『がんばろう神戸』を合言葉にしてリーグ優勝を飾ったのが記憶に新しい。

阪神タイガースが球団初となる日本一の栄冠を手にした1985年‥‥くだんの飛行機事故で球団社長が遭難してしまった。たしか事故が起きる夏ごろまでは一進一退を繰り返していたが、終盤、怒涛の快進撃をみせる。チーム一丸となってVを勝ち取った背景には『社長のために』 そうした強い想いが、当時の阪神ナインにも間違いなくあったはずだ。

忘れられない人がいる。同じ飛行機に乗っていた男の子‥。生きていれば、きっと今の私と同じくらいの歳だ。桑田・清原のいるPL学園の野球を観に行こうとして未曾有の惨事に巻き込まれてしまう。‥後年、その子の家へ取材に赴いたテレビ番組をみたが、収集していたのであろう「プロ野球カード」を確認できた。お菓子のオマケに付いてくるあれだ。

必死になってポテトチップスを買っていたあの頃の自分と、何にも変わらないではないか—

どうして野球が好きで好きで仕方なかった子供が、あんな辛くて、痛くて、哀しい目に遭わなくてはならなかったかと思うと、私は途端に息がつまって胸が苦しくなる。経緯を伝え訊き、サイン色紙を遺族に送ったPNナインはその年‥全国制覇を成し遂げた。

以前読んだ関連書物のなかに吉岡忍著、『墜落の夏―日航123便事故全記録』がある。「お世話係」と呼ばれる方々を、すべての遺族に対し日航が手配したのが、これにまつわる記述が痛々しかった。あるお世話係の人が、度重なる心労から若くして病に倒れ、亡くなってしまったというもの…

犠牲者となったのは飛行機に乗り合わせていた人たち、そして遺族だけでなかったことも、本書を通じ知った。こういった人は他にもまだまだ大勢いたのだろう。幸運にも“生かされている”私たちは感謝の念を持って日々を過ごさなければならないと、本当に思う。

事故から30年の8月12日。墜落時刻の18時56分‥。すべての犠牲者に対して祈りを捧げたい。そして野球好きだった、あの男の子へ。PL学園野球部は現在、どうやら存続の危機に瀕しているようだけれど、今年は夏の甲子園が例年以上に熱い盛り上がりをみせてくれている。変わらずに、安心して野球を好きでいてほしい。

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