恐るべし、ボブヘアー

  by 日なた  Tags :  


先日、休日のために混んでいる横浜駅で人々をよけながら歩いていると、歩いてるんだか止まってるんだかわからない中途半端な動きで通行の邪魔になっている女子ふたり組を見かけた。
見かけたというか、自分の進行方向にいたのではっきりと私にとって邪魔になっていたのだが、ひとりは完全に私の前で背を向けたまま、その先にいたもうひとりが半身振り返る形で私のほうを向いた。女子大生かな、もしかしたら高校生?という若い女の子だ。ごく普通というか清潔感のある、きちんとおしゃれした可愛い女の子だった。
ふたりは進むか引き返すかで迷っていたようでグズグズと止まった状態、私がそこをよけて追い越そうとしていたその時、背を向けていたもうひとりが振り返ったのだ。引き返すことにしたらしい。
振り返った女の子はもうひとりの可愛い子と同じ髪形をしていた。ショートボブヘアー。ツヤツヤとしてカラーリングもきれいで程よい茶髪。そのきれいなショートボブヘアーでフワッとした白いチュニックを着た女の子が振り返った時、私は静かに息をのんだ。確実に四十代後半から五十くらいの中年女性だったのだ。
ふたりが親子らしいということが初めてわかった。お母さん、髪形にふさわしいきれいで自然なメークだった。全身がちゃんと清潔感あふれ、みっともない点は何もない。しかし、「普通に四十代から五十の女性」だったのだ。
清潔で他人を不快にする要素は何もない。それなのに…グロテスクだったのだ。かなりのインパクトだった。

初めてわかった。美人とか不細工とかメークが丁度よいとか濃いとかいうことではない。四十代から五十の女性が女子大生と同じ格好をしているというのがあれほど違和感のある姿だとは思わなかった。
そしてそう気づいた私の髪形はボブ。そしてアラフォー…。そして服は白いチュニック…!
なんと。
なんと私は彼女と同じ…。同族?いや子どももいない私は向こうからすると、
「ここまで大きい子を育てて主婦してておしゃれも手を抜かない私とお前を一緒にするなボケ」
かもしれない。
でも、だってグロテスクだったんですよ…と、小声だけどしつこく言いたい…。

いつの時代も男女問わず「いかにも外見」が存在する。
これだけ情報があふれていてもその世代世代で見られる特徴があり、若い女の子を見ると、「せっかくの外見なのに、髪をもっと自然にしてメークを薄くすればすごく可愛いのになんで?」と驚くことが多い。鏡を見ればわかりそうだが、それがわからないところに何かがあるのだろうと思う。

しかし、時々ごくまれに「例外」になっている人がいる。
たとえば四十代から五十代、ショートボブヘアーでふわふわ白いチュニック、見れば普通に年齢もわかるのに「変じゃない」人だ。そういう人は確かに存在する。私もごく数人見たことがある。
そういう人達の特徴を考えると「髪の色が明る過ぎない」だが、それだけではないだろう。
しいていえば結局「なんとなく」、「雰囲気」ということだろう。…最も「じゃあどうすればいいんだよ!」な結論だが。

雰囲気というのは内面というよりは「その人が生きてきたこれまでの時間」なんだなと、自分が中年になって初めてわかった。
禿げちらかして美形でもないおじさんに「静かだけど実はこの人こそが男らしいというんだろうな。本当に頼れる人だ」と気づくことがある。どんなに素敵な人かがわかる。私にも多少見る目がついたということだろう。
そこに気づくと、禿げててどうってことなかったその外見も「そのままで」素敵に見える。これこそ「その人の魅力」だろう。人生の経験がその人から何かを発している。
そうしてそういう人は、日常で異性に対しても差別をしない。もちろん男女問わず「若くて外見がきれいな異性が好き」なのは当然だが、「関わる」ましてや「付き合う」となると別だということがわかっているのだろう。結局そういう人は同じようにきちんとした人を選んでいる。ある意味、シビアな話だが。

というわけで。
グロテスクな四十代に見えているとすれば、私にできることは自分にできる範囲で毎日を味わうこと、その中で過去を理解して、そこにとらわれないことだろう。
すべて自分だけでなんとかできることである。そしてそれが難しい。

SNSは一切やっておらず、インターネット関連知識はまったく「ない」ので、少々場違いなところに出ているのは承知しているのですが…いろいろ書いていきます。